渋沢栄一さん、どんな人なの?企業や教育機関をつくったスゴイ人です

学んだこと

「歴史の授業に習ったかな」ぐらいの感覚でしかなかった渋沢栄一さん。

大河ドラマの主人公にもなり、どんな人なのかなと思い、調べてみることにしました。

名前も忘れてしまった人も、渋沢栄一が作った企業や大学を見たら、一度は目にしたこと、利用したことがあるかもしれません。

調べていくと偉大な方だということが、わかったので紹介します。(以下敬称略)

渋沢栄一ってどんな人?

渋沢栄一は1840年に埼玉県深谷市で生まれました。

若いころは倒幕運動に関わるも、高崎城乗っ取り計画を中止したのを機に、のちの江戸幕府第15代将軍、徳川慶喜の幕臣になります。

その後、フランスに留学。

留学中に、江戸幕府から明治政府に変わり、帰国の命令を受けます。

フランスで得た知識をもとに、静岡で商法会所を開きました。

これが明治政府の目に留まり、大蔵省(現在の財務省)に入省します。

その後、大蔵省を退官して実業家に転身。

第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の頭取に就任したり、全国各地の企業や教育機関の設立に関わりました。

1931年(昭和6年)91歳で死去。

関わった企業は500以上!

渋沢栄一の関わった企業の数は500社以上といわれています。

第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京証券取引所、日本鉄道(現在のJR東日本)、帝国ホテル、東京海上保険会社(現在の東京海上日動)、田園都市株式会社(現在の東急電鉄、東急不動産)、東京瓦斯会社(現在の東京ガス)のなどここでは取り上げられない数の企業があります。

歴史のある有名大企業ばかりですね。

支援した教育機関は150以上!

渋沢栄一の時代は、教育制度がなかったため、学歴はありません。

そのため、5歳で父から論語を学び、いとこの私塾に通うなどして学問や剣術を学んでいます。

学問に熱心な一族だったことがうかがえます。

渋沢栄一自身もまた教育に力を入れていたため、一橋大学・東京経済大学・日本女子大学・高千穂大学など、小学校から大学、商業学校などの専門教育学校の設立に関わっています。

支援した教育機関の数は150以上ともいわれています。

教育制度がなかった時代に生まれ、自ら育成基盤を作り出すだけでなく、広く浸透させた功績は図り知れません。

特にまだ男尊女卑の風が強い時代に、女子大設立などや運営を手掛けたことは、日本の国力を上げてくれた人と言っても過言ではないのではないかとも思います。

「日本資本主義の父」とも呼ばれています

数々の功績から、ノーベル平和賞候補ともなったといわれる渋沢栄一。

「日本資本主義の父」とも呼ばれています。

企業の寿命は30年ともいわれる現代の中で、設立して100年以上たった今も第一線で活躍する企業や大学が多いことに驚かされます。

なぜ「日本資本主義の父」と呼ばれているのか、渋沢栄一が遺した功績を見れば、うなずけます。

2024年度に予定されている紙幣改定で、渋沢栄一の肖像が1万円札に採用されることになったので、今まで馴染みのなかった人も身近に感じられるようになりますね。

まとめ

歴史の教科書で学んだ人物くらいでしかなった渋沢栄一さん。

調べていくうちに、自分が利用している企業もたくさん出てきて、感謝の念が芽生えてきました。

戦前の難しい時代に、苦労して作ってくれたからこそ、今、気軽に利用できるようになっているのね、と思うとありがたい気持ちになります。

2024年から1万円札の顔になるので、グッと生活に食い込んできますね。

関わった会社は500以上(有名大企業もたくさんあります)

支援した教育機関は150以上(商業学校や女子への高等教育を拓きました)

2024年から発行される1万円札の顔になります