ここ数年で出来なかったことの一つ。
昔からお世話になっている叔父夫婦に直接会って近況報告をすることでした。
ついに念願が叶って昨日出かけてくることができました。
迎えてくれた高齢の叔父叔母は、年を取ってしまってけれど、笑顔と温かさは健在。
直接、会って話が出来るって当たり前のことだけど、幸せなことだなと思ったお話です。
元気で会えること
同じ県内に住む、叔父の家に出かけてきました。
十数キロしか離れていない叔父の家ですが、叔父夫婦が恒例ということもあり、コロナ禍になってからは、直接会うことはしていませんでした。
叔父夫婦がワクチンの3回目を終えたということと、蔓延防止が解除となったのに合わせていってきました。
数年前と言えば、子どもたちが生まれた時。
病院に一目散にやって来て、抱っこしてくれた叔父夫婦。
私のことを自分の子どものように可愛がってくれて、私が初めて上京した時の宿は、いつも叔父夫婦の家でした。
改築されてきれいになった家ですが、雰囲気はそのまま。
家自体は無機質かもしれないけれど、そこに住む温かい叔父夫婦が、ぬくもりを加えているんだなぁと感じるお家です。
公共交通機関の大好きな我が子は、見たことのないバスに乗って大喜び。
数年の間に病気も経験した叔父は、電話で「歩くのもしんどい」と言っていたのですが、バス停まで迎えにしてくれるサプライズがありました。
我が子はバス停で待っていた叔父を見つけると、一目散に手を握ったのでした。
「ゆっくりしか歩けないけどよ」と言いながら一緒に歩いてくれたことは、何にも代えがたい喜びでした。
直接会えるから得られること
特に何があったわけでもなく、遊びに出かけたのですが、やっぱり、直接会えるのっていいですね。
昭和初期の生まれの叔父夫婦は、携帯電話こそ思っているものの、オンライン電話には手を出していなく、音声通話のみ。
電話越しに元気な声は聞こえても、実際会って、笑顔や仕草をみながら話すのは、やっぱり違いますね。
叔母が入れてくれたコーヒーを一緒に啜って相撲を見つつ、他愛のない話をする。
直接会って話をすることが、こんなに贅沢なことだったんだろうかと思うほど、至福の時を過ごさせてもらいました。
普通のことって大事ですよね。
当たり前が当たり前でなくなったことを経験したから言えること。
数年は長過ぎました。
振り返っても時間は帰ってこないから、今ある時間を大事に出来るだけ楽しく過ごそう。
そう思えた貴重な時間でした。
個人的にはビジネスなどオンラインにできるものは、どんどん合理化してもらいたいものですが、家族との触れ合いなど何にも変えがたいふれあいなどは、ローカルなままでいいなと思うのでした。
叔父夫婦にすっかり懐いた我が子たち。
興奮してお昼寝の時間もすっかり過ぎて夕方になってからウトウトし始めました。
時間が遅くなればなるほど、夜眠れなくなるため、無理やり起こして、帰宅する旨を伝えると、眠いのと別れが辛いので、ワンワン泣きだす始末。
それはそれは辛いお別れでした。
叔父夫婦が作ってくれた野菜のお土産をたっぷり頂いて、自宅に帰ったのは、子どもたちが寝る時間。
時計をみて唖然としながらも、楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものなんだなと苦笑しました。
数年前の元どおりに戻って欲しいとも思わないけれど、生活に制限がかけられるって、思った以上にダメージがあるだなと改めて実感しました。
そして、毎日過ごしていると見落としがちになりますが、小さな幸せってそこら中に転がっていることを知りました。
そういう意味では、ここ数年のコロナ禍が教えてくれたものは大きいのかもしれません。