自分自身は執着心が強いとは思わないのだけれど、実は人間って執着することで悩みを抱えることもあるのだそう。
気づかぬうちに安定を求めてしまうんですよね。
求めるまでいいのだけれど、思いが強すぎると執着の波にのまれてしまうのかも。
自分を癒すことは自分を大切にすることなんですね。
人間の執着
最近読んだ草薙瞬龍さんの『反応しない練習』KADOKAWA (2015/7/29)
ブッダの教えをもとに書かれた本です。
この中にある、執着のこと。
人は3つの執着によって苦しむのだそうです。
この3つの執着は、プラスの面もマイナスの面もあります。
例えば、受験で志望校に合格したいという執念で勉強することは、1の求めるものを得たいという執着によって形成されるもの。
志望校に合格したいというモチベーションが無いと受験勉強は捗らないし、合格後の学校生活を考えれると純粋な目標の一つ。
無事に、志望校に合格した後、何となく無気力になってしまったりするのは、求めるものを得てしまって、次の目標が見つからない状態だからかも。
合格後の生活をイメージして、いきいきと生活している人は、きっと2の手にしたものがいつまでも続くようにという執着によって維持されている。
逆に、学校生活に馴染めずに、学校から遠ざかってしまった人が、退学などの手続きを取ることは、3の苦痛となっている物事をなくしたいという執着に該当するのかなと思います。
前向きにとらえることも、後ろ向きにでも捉えることが出来る執着という概念。
私自身も生活の中でいろいろな執着がありました。
マイルールが執着だったり
完璧主義かと言われるとそうでは決してない私。
それでも、お茶碗はここにしまっておいて。シンクの中の洗い物は、お箸からなどとマイルールが存在しています。
自分自身が良いと思った方法がマイルールなのですが、このマイルールが執着。
家族にとっては、私のマイルールなどお構いなしで、手伝ってくれたりします。
「あら~、ここはこうやってほしいんだけどな」
口には出さずとも、手伝ってくれる家族の手元を見ながら思ってしまう私。
これは、2の手にしたものがいつまでも続いてくれるようにという執着が働いているからなんですよね。
思っていることは、いつかは口をついてしまいがち。
そのことからいらないケンカに発展してしまうことも。
だから、やっぱり拘りというか執着がない方がひょっとした上手くいくのかもしれません。
そういう自分を認める
いい面もそうでない面も持ち合わせている執着。
執着が強すぎると、しつこ過ぎたり、依存傾向になったりするのだそう。
自分自身が自分を嫌いにならないように、そういう自分を認めつつ、自分らしい生き方を模索していきたいですね。
私が、行っているのはモーニングページ。
その名の通り、その日の朝に自分の気持ちを書き出してみることです。
やりたいこと、やるべきこと、箇条書きにしておきます。
眠る前に、☑をつけて、今日の感謝の瞬間を書いておきます。
今日の感謝の瞬間はスーパーの店員さんの笑顔が素敵だったとか、夕食の香りがとても美味しく感じられたとか、小さなことで全然ヨシ👍
書いてみると、やるべきことが明確になるし、何より感謝の気持ちで一日が終えられるのが、私的には良いのです。
執着を捨てきることはできないのですが、自分自身を癒すことは、自分を大切にすること。
だから、できることを少しずつやってみようかなと思っています。