傷だらけの自分。諦めることもあるけれど、チャレンジの場は広がっている

私のこと

子どもの頃の夢ってなんだったけ?

ふと、そんなことを思い浮かべました。

確か幼稚園のアルバムには「かんごしさん」って書いたような気がします。

どうして看護師さんになりたいと思ったのかよくわからないのですが、他の同級生を見ると消防士さんとか警察官とか看護師さんが割合に高かったので、真似っこしたのかもしれません。

好きなことが見つかるって楽しい

子どもの頃は特に目立った才能も有りませんでしたが、平々凡々な性格でそれでも毎日楽しく暮らしていました。

過去って美化されるって言いますから、嫌な記憶を忘れてしまったのかもしれませんが、幼稚園や学校が嫌だと思うことは少なく、勉強も遊びも思い切り楽しんでいました。

小学生の低学年の頃は算数が大好きで、九九ができた時にほめられたことは、今でも覚えています。

一の段から九の段までシールがあり、一つ一つクリアしていくと自分なりの達成感があり、さらに先生や親や祖父母から「すごいね!」「はなまるだよ!」と言われると嬉しさは倍増しました。

小学生の中ごろに出会ったのが野球です。

公園で上手な子たちに誘われてゲームに参加したのがきっかけ。

何となく降ったバットがボールに当たってヒットになったことがきっかけで、周りからもてはやされて始めました。

指導者の方ものびのびやらせてもらったので、本当に楽しかった。

野球を知ってからは学校の勉強もスイスイ進めていたような気がします。

それは、“勉強を早く終わらせて野球をやろう”と思っていたから。

野球が中心に来てうまい具合に他の物事も進んでいました。

中学生になると野球部がなかったために、似たようなソフトボールに転向しました。

中学生くらいになると、引退する先輩など誰かのためにという思いや勝つことの悔しさもわかるようになりました。

高校生になるまでは、勉強の中に楽しさを見つけたり、面白いスポーツを見つけて夢中になったり、非常に充実した日々を過ごしていたと思います。

好きなことが見つかるって何気に大切なことだったりするかもしれません。

私が新聞を読むきっかけになったのはスポーツ面のジャイアンツの記事からでした。

図書館に積極的に通ううようになったのも、野村克也さんのID野球が旬でしたから、野球の本を中心にハマって読んでいました。

好きなことから付随して勝手に調べたり、研究したり楽しさが倍増していきます。

オタクのように何かに夢中になれることが見つかると、自分の時間を上手に使うきっかけになるかもしれません。

失敗してもいいんだ

初めての挫折は、小学1年生でした。

4歳の時から始めていたオルガンからピアノに移行したのがこの時期。

先生も変わってしまい、練習も厳しくなってしまいました。

褒められることよりも、叱咤激励されることが多くなり、先生が怖くなってしまいました。

母親にお願いして「やめたい」意思を伝えたのですが、すんなり受け付けられたので、よほど才能がなかったのかもしれません。

次の大きな挫折は高校生の時。

中学から始めたソフトボールと並行してバスケットボールに挑戦しました。

スラムダンクが流行っていましたから、多分その影響。

バスケットボールってめちゃめちゃ走るんです。

基礎体力が大事と言われて1年生はずっと走らされました。

このころから体の異変は感じていたのですが、長距離走が無理でした。

20kmとか走ると疲れすぎて何も手につきませんでした。

家に帰って眠るだけ。

勉強も次第に追いつかなくなり成績も急下降。

それでもバスケットボールの試合に出ることをあきらめきれず、というかやめることが悔しくて「やめる」と言い出せず、手当てをしないまま1年近くを過ごしてしまいました。

成績がジリ貧となって親から辞めることを勧められ、というよりも選択肢のない選択をさせられたことは、昔のことながら後悔することもあります。

もう少し自分に勇気があればなと。

挫折をバネにするには、周りに協力が必要

そんなことで高校生活は特に記憶がありません。

どういう風に時が流れていったのかわからないのです。

しかも何となく大学生になって初めての健康診断で難病と診断。

もう、人生終わっちゃったかもな、と諦めの気持ちでいました。

無気力が続いたときに出会ったのが大学の先生。

大きな挫折をにも関わらず、大学の教授や主治医の先生が親身になって入院中でも学習できるように配慮していただいたり、外出許可を出してくれたおかげで、大学生活は病気を抱えながらも様々なチャレンジをすることができました。

海外へ目を向けるようになったのもこの頃。

初めての海外旅行先のタイは、大学の先生が教えてくれた社会福祉の施設も見学しました。

病気になって大好きだったスポーツはできなくなってしまったけど、代わりにスポーツを見る楽しさを思い起こしたのも病気になってから。

大学という枠はあったけれど、気にかけてくれた先生たちのおかげで、時計の針を進めることができたのです。

飛び立つときは、だた一人

大学の4年間は非常に濃いものでした。

入院しながら卒業できたのは奇跡に近いです。

就職活動はとても苦労しましたが、大学の先生や主治医の先生からの相談や助言をいただきながら内定をもらい、働くことができました。

先生たちにとってはただの学生で、患者かもしれないけれど、私にとっては心強い存在でした。

飛び立つときは一人だけれど、周りの支えが板バネとなって羽ばたくことができました。

今の夢

ピアノもう一度チャレンジしてみようかな。

パソコンももう少し練習したいな。

ブログも継続したい。

夢というかやりたいことはたくさん。

大人になることの特権は何でもできることかもしれません。

時間をどのくらいかけてもいいし、途中でやめてもいいい。

働きながらだと時間の制約を受けますが、その時間さえもどうにかできてしまうのが大人の特権。

大人になると諦めることもあるかもしれないけど、新たなチャレンジの場は広がっている気がします。

見出すのは自分次第。

さあ何にチャレンジしてみようかな~