寒さの厳しいお正月。
秋ごろに気象庁が出す3カ月予報は見事に当たったようで、ラニーニャ現象のおかげなのかひときわ寒い年明けを迎えています。
自由があるって幸せ
行動制限を強いられた月日が3年目を迎えようとしています。
昨年の初詣は1月7日の松の内にギリギリ間に合うようにお参りしましたが、今年は3が日にお参りが出来て大変嬉しく思います。
みんながお参りした気持ちは一緒。
だから、ルールを守って神様仏さまに世の平安を願います。
神社仏閣に直接足を運んでもいいし、自宅で滞在先で自分の心の中で祈りをささげることが選択できる自由があるって素晴らしいことだなぁと改めて思います。
私の渡す幸せ
子どもの頃のお正月と言えば、お年玉。
父母や祖父母、親戚からお年玉を頂けることが楽しみの一つでした。
何といっても、小さなポチ袋に〇〇ちゃんと自分の名前が書いてあり、手渡しで渡される嬉しさと、中身に対する期待が入り混じってそれはそれはワクワク感満載でした。
社会人なりたての頃は、少ない給料から親戚の子たちに渡すお年玉を捻りだすことが大変でした。
年を重ねるごとに、この時期用にと支出を管理できるようになり、気持ちにも余裕が出てきて、お年玉を渡すことが楽しみの一つになっています。
みんな大きくなったね。今年も元気に遊んでね。
みんなに渡したときのあの表情が私も嬉しくて、早く渡したい気持ちがウズウズ。
中身は少しだけど、みんな少しでも元気にプラスになればと思っています。
出来そうで、できないこと
お年賀とお年玉。
実はどちらもお正月に人に金品を指す言葉に違いはないのだそうです。
初売りに行くと粗品を頂けたりしますが、お年賀は日ごろお世話になっている人や目上の人に、新年のあいさつを兼ねて渡すものなんだそうです。
簡単にまとめると、お年玉は年下向けで、お年賀は目上の人向け。
毎日学ぶことが多いものです。
本当は、お世話になった両親にもお年賀を渡しても良いとは思うのですが、何となく恥ずかしいのか余計な気持ちが邪魔をして渡せずにいます。
お金とかモノではなくて、要は気持ちなんですけどね。
手渡しすることも何となくできずにいる私。
自分と一緒に年を重ねていく両親に少しでも労いの思いを込めて贈り物を考えてみたいと思います。
もちろん、お年賀として格式ばった感じではなく、さりげなく。
「いつもありがとう」
一言なんだけど、こどばゆいような感じがして声には出せずにいる自分がもどかしいです。
自分の周りにいる身近な人こそ大切にしなくてはいけないなぁ、と心にとめて声に出せなくても「ありがとう」を伝えたいです。