世界は良い方向に進んでいる。時にはモノの見方を変えて面白がる

思うこと

外に出てないせいもあってか、今年の夏はカラッと晴れた夏らしい夏を感じないまま秋を迎えてしまいました。

暑い暑いといえど、やはり青々とした広い大空やモクモクとした綿菓子のような入道雲が見れなかったのは少し寂しかったかな。

このまま一気に本格的な秋を迎えるのかと思いきや暑さも戻ってきましたよね。

桜の咲くころに一気に冷えることを花冷えとか寒の戻りと言いますが、夏も一気に過ぎるのが惜しかったのかな。

こういうのって暖の戻り?

人間万事塞翁が馬

そうはいっても、季節は冬に向かって真面目に一歩一歩進んでいます。

気が付いているようで忘れているけれど、人間も人生の終着駅に向かって一歩一歩進んでいます。

自らが歩んでいなくとも時が刻まれることで、確実に進んでいます。

歩む道は明るいところも暗いところもあるけれど、自分のご機嫌を自分で取りながら出来るだけ明るい道を歩こうと、そう思っています。

そういえば、中国のことわざで「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。

良いことがあれば悪いことがあるかもしれないと警戒し、悪いことがあれば良いことの兆しと捉え、人生の荒波をのりこえるのだよと教えてくれることわざです。

戒めのことわざかもしれませんが、良い時は浮かれすぎず、悪い時は良い面を見つけ出して、自分の人生を前向き歩んでいきたいものです。

パターン化の良し悪し

年齢を重ねると、人生という経験がどんどん積まれていく一方で、経験をもとにした予測がかえって先入観となり、見えずらくなってしますことがあります。

スーパーでは旬の野菜が陳列されています。

採れたて野菜とか朝採れ野菜って見ると無意識のうちに、おいしい野菜と思います。

実際、美味しい野菜が多いのですが、採れたて(今)≠旬の時もあるのです。

例えば、かぼちゃ。

栽培されている方は、ご存じかと思いますが、収穫は真夏~秋に収穫の時期を迎えます。

そして少し寝かせて熟成させます。

旬の時期は秋から冬というわけです。

かぼちゃの栄養素が寒さを和らげ、風邪を予防するということから、冬至にかぼちゃを食べますが、実は旬だからという意味も含まれているのです。

食べられるけど採れたて=旬ではないの。

捻くれてるみたいだけど、モノの見方は一つじゃないよって言うことの一例。

ちなみに、かぼちゃの由来は、江戸時代にポルトガルの船がカンボジアで採れたかぼちゃを今の大分県のお殿様に送ったことからなんだそうです。

でも、カンボジアが原産国ではなくてアメリカ大陸

メキシコ産のかぼちゃを見かけたことがありますでしょ。

服はパターン化した方が、何着るか迷わなくて済むけど、モノの見方はパターン化しない方が選択肢を広げやすくてアイディアが浮かびやすいというわけです。

大人が大人になる

自分で常識と思うことが違うと認めるのは、ちょっと勇気のいることだったりします。

年齢を重ねると余計に。

でもね、そこは大人になりたいと思うのです。

柔軟な考えをすると新たな学びが増えるし、学びの機会も増えるから。

自分を自分の常識に縛りつけていては、自分しか見えなくなるから。

違和感を持っても、いったん受け止めて他の角度から見てみる。

そういう広い心が大人には求められるのですね。

まだまだ精進が足りませぬ。

世界は良い方向に進んでいる

常識とか何か枠や型にはめると、答えが出やすいので、つい一気に答えを出してしまうけれど、ちょっと心を落ち着かせたり、立ち止まってみるときも必要。

物事を決める選択肢は多い方がいいです。

心穏やかではないこともその先にはきっと光が見えるはず。

開き直って人生を面白く歩んでいきたいものです。