捨てる?捨てない?思い出ボックスは迷いの扉。気持ちが揺らぐ断捨離の日々

暮らし

もう使わないかな。

でも思い出のあるものだし。

そう思って、脇に置いておいたものが段ボールに入っています。

1年に1回くらいしか開けないその箱を開けると、何となく思い出が蘇ってくるのです。

断捨離しようか、どうしようか。

箱を開けるたびに迷います。

とりあえず思い出ボックス

雨の多いこの時期。

雨を避けるように、必然的に自宅に閉じこもることが多くなりました。

たまには自宅の片付けでもしてみようかな。

クローゼットの中を開けると、思い出ボックスが目に入りました。

この思い出ボックスは、断捨離をするたびに捨てられなかったものを入れておく箱。

もう一つ、とりあえず一旦保留ボックスと一緒に並んであります。

とりあえず一旦保留ボックスの方は、片付けをしているときにどうしようか迷ったときに、ホイホイ入れていく箱なので、時間を置いて見てみると、案外ヒョイと捨てられることも多々あります。

だから、中身はあまりない。

一方で、思い出ボックスは増える一方。

昔取ったフィルムの写真、プレゼント。

頂いたお手紙や色紙。

子どもたちの作品。

そして…CD。

箱を開けて、そのモノを見ると、その時の思い出が蘇ってくるのです。

もういいとは思うのだけれど

CDについては、もう役目を終えたと思っていたのです。

ところが、CDジャケットを見ると、CDを手にしたときのあの頃が思い浮かびます。

音楽は不思議。

あの曲を聴くとあの場面がセットのように浮かんできます。

そうそう、そんな感じだったよね。

楽しい思い出も、酸っぱい思い出も蘇らせてくれるCDからの音楽。

役目は終えたのかもしれないけれど、捨てられずに箱の中でまた眠っているのです。

思い切る勇気

思い出ボックスに眠っているCDは約50枚。

枚数にすると結構あります。

ジャンルはJ-POP、流行った洋楽。

CDを持って、音楽をかけることなんて実際ほとんどないんですよね。

今はすでにダウンロードだし。

そもそも音楽をゆっくり聞くことがなくなってしまい、ダウンロードすることすらしなくなってしまいました。

そう考えると、思い出ボックスを1年に1回くらい開けた時にだけジャケットを眺めて思い出すことって、ちょっと滑稽。

50枚ものCDアルバムを聞けるわけでもないし、思い出ボックスを開けてCDをかけることもしない。

だって、パソコンを立ち上げれば、すでに入っているから。

そう考えると、もう役目は終えたのです。

きっと、断捨離をしたところで、自分自身が何も変わらないことも分かっているのです。

だけれど、なんだか手放せない。

断捨離は、仏教の言葉から来たと聞いたことがります。

仏教の教えである諸行無常とは、「この世の万物は常に変化していて、ほんのしばらくもとどまることがない」という意味。

修行僧ではないのですが、私の状態は雑念が入りまくっている状態なのかもしれません。

ここで思い切って役目を終えたものを手放したとき、何かが見えるのかも。

思い出ボックスを見つめながら、気持ちが揺らぐ断捨離の日々です。