実家に帰省した数日。
田舎の日常を経験すると、「ああ、そういえばそうだった」と気づかされることもあります。
かつての実家
私の実家は、かつて稲作と養蚕を営む農家でした。
中学生で習う社会科の散村がまさに私の実家。
散村とは、各家屋がたがいに孤立する集落のことです。
山を背に、山と山の間にできた盆地に大きな川が流れている場所です。
各家には、山からの吹きおろしの風を避けるために、家の後ろに防風林がありました。
そのため、まるで林に囲まれたような家になっていました。
そんな私の実家も、近くを流れる大きな川が幾度となく氾濫を起こし、今から30年ほど前に居住不可の地域となってしまいました。
回覧板を見て思うこと
今の実家は私が小学生に入る少し前に引越しした家。
前の実家が居住不可の地域になってしまったということで、祖父母が土地を探して購入したとのことでした。
今の実家も、家がポツポツとあるだけで、隣までは徒歩で2分はかかる距離。
お互いが農家同士で、農繁期の仕事から地域の行事まで共同作業と言った感じで進めていっていました。
これは紙なの?と思うほどの硬い厚紙で作られた回覧板には、表側に自分たちの集落の人の名前があり、裏には町の商店などの広告がありました。
回覧板に書いてある10戸ほどの家々の人は、大人も子どももみんなわかる感じ。
いい意味でも悪い意味でも、明け透けなコミュニティでした。
ここ数年、私の実家も宅地開発が行われ、次々と住宅が建てられていきました。
開発された土地に建てられた住宅は、都会のようにスタイリッシュさを兼ねる一方で、田舎のような隣との距離がほとんどない住宅。
私が幼かった時と比べて20戸はできたかな、と思います。
地域に人口が増えることは良いことです。
街に活気は出るし、人々が新たな街を作っていきます。
ふと目にした、馴染みの回覧板は当時の面影を残したまま、ずっと各家庭を回っていました。
人も増えたから、家を回る回数も増えたんだろうなと当然のように思ってみると、6戸とほぼ半減していました。
田舎とはいえ、情報手段が発達した今では、回覧板でなくともHPやSNSなどのインターネットがあるからね。
回覧板は、そういった情報手段を持たないお年寄りの方などの貴重な情報源となっていたのでした。
都会ではあまり見かけなくなった回覧板。
もうすぐ田舎でも見られなくなるのかな。
時代の流れとは言え、なんだかさみしい気分になってしまったのは、自分が都会に住む人間だからかもしれません。
社会の個人化
今私の住む地域では、自治会に入る方も少なくなってきているようです。
朝起きて、学校行ったり働いて、夕方帰って、夜寝るみたいなサイクルは、かつてはみんなが同じような時間のサイクルで生活できていました。
だから、何かを地域やろうとしても、みんなが協力出来たり、半ば強制的にせざるを得ない状況だったのかもしれません。
今は、様々な面で多様化が進み、時間も生活のサイクルやスタイルも個人個人で大きく異なるようなりました。
地域でまとまって何かをするということが、難しくなってきたということです。
個人の時代だからこそ、生まれる貢献心
みんな一緒にという共同体感覚で横並びに歩んでいくことは、先人の方々が作ってくれた社会のように、モラルを個人に教えてくれ成長することができました。
個人の時代と呼ばれて久しいですが、これからはもっと個人化が進むのでしょう。
新型コロナウイルスのおかげで働き方もだいぶ多様化しました。
少しずつですが、男性も育児に参加できる機会を作ろうと法整備も進められています。
みんながそうするからやるということから、自分がやりたいからやるという方向にシフトしていくのでしょう。
周りを見ながら共同していくのではなく、個人がどう思うかということに重きを置かれた時代だからこそ、自分の住んでいる地域や地球に恩返しをしたいというボランティア精神が芽生えてくるのかもしれません。
個人が主体の今だからこそ、自分を磨き、自分の考えを持てるように日々過ごしていきたいものです。
今も昔も時代という荒波を乗りこなしていくことには変わりはないようです。