私って自意識過剰かってくらい、人の目が気になる性格。
自分が発言した結果、他人の反応が気になることはしょっちゅうで、そのおかげで自分らしく行動できないこともしばしばです。
生活の中でも物を購入するときには商品のレビューが気になるし、お店に入る時も口コミが気になる始末。
染みついた自分の性格は簡単に変えられないけれど、ポジティブにポジティブに小さな心がけを積み重ねることが、自分の心を前向きにさせると信じて今日もまた過ごします。
悪いから→悪いけど
私が、自分という存在を卑下するようになったのは中学生ぐらいでしょうか。
そうしておけば、他人から承認を得られやすいと考えたのか、馴染みやすくなるとでも考えたのかどちらかは不明。
そうやって考えているうちに、少しずつ自分のことをおろそかにしてきてしまったように思います。
何か自分のやりたいことがあったら「すみませんが〇〇してもいいですか?」と伝え、前向きな返事がなかったとしても、「悪いからやめておく」という考えに至ってしまうような意思の弱さもあります。
年齢を重ねてくると、もう少し傲慢にチャレンジを進めていってもよかったのではないかなぁと思うことも多々。
少しずつですが、ポジティブに考えを改めようと試みています。
嫌われてもいい
中学生くらいになると、人から嫌われることを恐れてしまいました。
仲間から外れたくないという気持ちから、服装や考え方なども周りに合わせようと背伸びしていた気がします。
大人になった今も、周りの反応が気になってしまいます。
「今日仕事を休んだら、周りの人が困るだろうな」
「周りはうまくやっているのに、私はできないな」
なんて考えて、落ち込むこともしばしば。
周りの反応を気にしながら自分のことを決めてくような、そんな自分もいます。
自分の時間だから
そんなナーバスな私が、転機となったのは子育て。
子どもたちと一緒に接していると、楽しいこともあるし、将来像も描いてしまいます。
自分のことを伝えることも大事なこと。
その時には嫌われても、分かってもらえることもあるし、そうでないときもある。
一番大事なのは、他人じゃなくて自分。
自分を一番大切に思ってほしい。
子どもたちを通してそういう気持ちが自分の中に芽生えてきました。
だから、使う言葉も少しずつですが、気を付けることにしています。
「失敗しないように」ではなくて「うまくいくように」とか。
「他人の目を気にしない」ではなくて「自分らしく」のように。
少しでも前向きに問えらえられるように、ポジティブな言葉を心掛けています。
染みついた自分の考え方は簡単に変えられないけれど、小さな心がけの積み重ねが、自分の心を前向きにさせると励まして今日もまた過ごすのです。