夏風邪によって、数日間休むことになりました。
片頭痛のような辛さがあり、家事はお休み。
代わりに身の回りのことをしてくれたのは、家族でした。
自分が動けなくなって気が付く周りのありがたみ。自分には何が出来るだろうか。
日ごろの振り返りとともに、感謝の心は常に抱いていたいと感じたお話。
感謝感激雨あられ
異変を感じ取ったのは、先週。
何となくだるいな、という感じ。
そのうち体が動かなくなってきて、ついには悪寒まで発生。
「これは風邪かも」
流行風邪もあるし、何となく不安な気分になりながらも、とりあえず流行風邪でないと検査で判断されると、一安心。
でも、症状は和らぐことなく、悪化の一途。
とりあえず、身体を休めようと床につきました。
疲れていたのか、ずいぶん長い間、ぐっすりと睡眠をとることが出来ました。
私が休んでいる間、家の生活を止めずに回してくれていたのは、家族。
普段は、自己流が多い我が家では、家族がお互いのために仕事を自ら行うという行為が珍しいのです。
お風呂掃除に洗濯、掃除、ゴミ出し、炊事。
変わったことは何もないのだけれど、何も言わずに、気が付いた人からやりたいように家事をこないしていく。
出来ているかどうかという部分は横に置いて、自ら動いてくれていることに感動しました。
しかも、きちんと整えてくれたり、自分なりのアレンジもしっかり取り込んでくれて。
休ませてもらった私は、身体が落ち着くのと同時に、家族のおもてなしというか思いやりに温かみを感じたのでした。
働くという喜び
毎日毎日くるくると生活をしていると「面倒くさいな、サボりたいな、今日は休みたい」という気持ちが芽生えてきます。
いやいや、ここは踏ん張り時でしょ。と言いながら、自分にムチを打って活動していますが、もしかしたら、身体からの「疲れているよ~」コールなのかもしれません。
自分に打ち勝つことは大切。
でも、自分が倒れるほどはしなくてもいいんじゃないかな。
疲れた時は、休んでもいいし、誰かにお願いしてもいい。
それくらいの甘さがあってもいいような気がしたのです。
適当が良い配分。
がむしゃらさも大事だけれど、自分が出来ることって限られています。
拘って、心を失くしてしまうよりも、少しだけ余力を残して、休むという行為も自分への投資のような気がするのです。
その加減が分からず、倒れるまで動き続けてしまう自分がいうのもなんですが、メリハリが大事というわけです。
自分も大事にして、周りも大事にする。
この連鎖が、働くことの喜びに繋がったりするんじゃないかな。
WINWINの関係でないと、純粋な喜びって生まれないような気がするのです。
生きがい
若い頃は、お金のために仕事をすると考えていました。
物事には対価があると本気で信じていました。
社会に飛び込み、会社という組織で生活していく中で、新しい家庭を持ち、家族が増えると、たとえ、無償であっても、みんなの喜びに繋がれば、それでいいんじゃないかと思うようになりました。
金銭的な余裕がそこにつながったのかと言われれば、それもあるかもれしません。
でも、やっぱり、自分が他の人のために役に立ったという達成感が、自己満足となったのだろうと思っています。
会社からお給料をもらうということは、ありがたいこと。
でも、それ以上に、顧客や職場の皆さんから「ありがとう」と言われることは、とても嬉しいこと。
自分のしたことで、他の人が喜んでくれるのは、自分の喜びに直結します。
見えずらいけど、家族も同じ。
普段、近すぎて見えない部分があるからこそ、お礼をいったりお詫びしたり、コミュニケーションを図ることが大事なんだなと思いました。
自分も大事にしながら、身近な家族も大事に思う。
この連鎖が、周りに波及していくと穏やかな日常が続いていくのではないかな、と思った病み上がりの今日この頃です。