母の日。遅れてごめんね。感謝の気持ちは日ごろから。伝えるって大事

暮らし

母の日は、5月の第2日曜日。

今年は5月8日でした。

日ごろの感謝の気持ちを込めてお花を贈った方も多いかと思います。

私の場合はうっかり失念してしまい…。

1週間遅れで感謝の気持ちを伝えます。

私のようなうっかりの人向けに、花屋さんの「遅れてごめんねフェア」があるようで。

お花に感謝の気持ちを込めて渡します。

母の日をうっかり…

子どものころから、記念日に疎かった私は、クリスマスとお正月など代表的は行事には興味を持っていましたが、何となく家族に感謝の気持ちを伝えることが恥ずかしいのもあって、母の日も父の日も何かをするということが出来ずにいました。

学生時代に一度、花を贈ったことがありましたが、忙しさにかまけて、スルーしてしまったり…

いけないとは思いつつも、言い訳を盾にやり過ごしたりしていました。

30歳代も半ばに結婚し、母となった私が感じたのは、母というものの大変さ。

私の母は何も言わなかったけれど、当たり前のように仕事をしながら、私のことを一番に考えてくれて、支えてくれた母。

母への感謝の気持ちを伝えられる母の日は、私にとっては大事な記念日となったのです。

難点は、母の日が5月の第2日曜日であること。

元旦のように1月1日とか、こどもの日の5月5日のように決まった日ではないというところ。

だから、カレンダーに○でもして忘れないようにしておく必要がありました。

今年は、5月1日が日曜日で第1週目。

母の日は8日の日曜日だったのですが、私はうっかり失念。

母の日から1週間遅れて母への感謝を伝えることになりました。

母の日の贈り物。カーネーションの始まり

母の日の贈り物といえば花。

カーネーションを送るのが定番ですね。

カーネーションがなぜ母の日の花となったのか理由を探ると、起源は大正時代にアメリカから伝わったことと言われています。

アメリカの戦場の負傷兵の衛生改善活動を行ったアン・ジャービスの娘、1907年5月12日、亡き母をしのんで母が教師をしていた教会に、母が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾ったこと。

これに感動した人々が、その翌年の1908年5月10日、同じ教会で、470人の生徒と母親達が「母の日」として祝福。

このときの参加者全員に白いカーネーションを手渡されたこと。
これにより、白いカーネーションが母の日のシンボルとなり、1914年にアメリカが5月の第2日曜日を「母の日」として記念日に定めたという経緯のようです。

慈善活動を行っていた母を娘が尊敬し、白いカーネーションを繋ぎとして、人々の母への思いへとつながったということなんですね。

素晴らしいお話です。

母の日の花といえば、赤やピンクのカーネーションというイメージですが、始めは白色のカーネーションだったのも驚きです。

このことにちなんでか、母を亡くした人は白いカーネーション、母が健在の人は赤いカーネーションと区別されているとのことです。

感謝の気持ちは日ごろから

記念日があるから、気持ちを伝えやすくなるというのもあるのですが、記念日がなくとも、感謝の気持ちは持ちたいもの。

これは、母だけに限らず、自分を支えてくれるすべての人に感謝の気持ちを抱きたいものです。

毎日過ごしていれば、辛いときもしんどい時もあるけれど、今ここに自分がいられるのは、自分一人の力ではなく支えてくれる人がいるから。

そういう感謝の気持ちを持ちつつ、感謝を伝えてきたいと思っています。

私のような、うっかりさんにお花屋さんでも、「遅れてごめんねフェア」があるようで(汗)

お花と一緒に感謝の気持ちを込めて、母へいつもありがとうの気持ちを伝えたいと思います。