心が疲れた時は、まず休息。そして栄養分を補給

思うこと

悩みを抱えずに、過ごせるなんてできるのかな。

比べちゃいけないと頭ではわかっていても、他と比べてみたりして、つい悩んでしまいます。

悩みを減らす方法の一つは、他と比べないことだとわかっています。

でも、目があり耳があれば、やっぱりねぇ…。

まだまだ精進が足りないのです。

心のよりどころとする教えがあると、心が軽くなる

そんな私でも、心のよりどころにしている、教えがあります。

それは、おばあちゃんからの教えです。

悩んだときは特に、こんな時おばあちゃんならどうするかな?と考えます。

自立していないと言われれば、それまでですが、よりどころとする教えがあると、心が軽くなるような気がするのです。

子どものときに寄り添ってもらえた体験が、おばあちゃんからの教えとなっている

私は、宗教家でも何でもないのですが、生まれ育った北国の地が、昔話にあふれていて、神様仏様を大切にしている地域だったので、季節の催しごとなど身に沁みついています。

子ども会などで地元のおじいちゃん、おばあちゃんと触れ合うと、いつもやさしくて、温かく迎えてくれました。

近頃は、地方も担い手不足や生活の多様化で、地域の行事も簡素化されたり、消滅したりしているので、当時を思い起こすとありがたかったな、と思います。

神社やお寺のお祭りは、出店があって、それが楽しくて出かけた記憶があるのですが、お寺で座禅を組ませてもらったり、神社でお焚きあげの儀式に参加させてもらい、お餅を食べた記憶は鮮明です。

お祭りに参加したからと言って、参加した人に勧誘や伝動もありませんでした。

イタズラをしたら、時と場合によっては叱られますが、地域の遊び場、憩いの場として神社やお寺はあったように思います。

何かを直接教えてもらったわけでもないのですが、自由に遊べて、悩んだときに話を聞いてくれて、一緒に行事をやってみた経験が、私の心の一部を作ってくれたのだと思います。

自分が寄り添えるものがあると、乗り越えるきっかけになる

悩んでいるときは、直接悩みを解決してほしいときもありますが、悩みを抱える自分を認めてほしい、寄り添ってほしいときもあるのではないかと思うのです。

例えば、治らないとわかっている病気を抱えた時などは、完治してほしいけど、それは無理。

こんな身も心もボロボロの私、どうしたらいいの?

というような気持ちになります。

どうしようもないときこそ、寄り添えるものが支えになるのではないでしょうか?

宗教の勧誘とかではないです。

『論語』とか『ニーチェの教え』とかなんでもいいと思うのです。

何か自分が寄り添えるものがあると、乗り越えるきっかけになるのではないかと思うのです。

心が疲れた時は、まず休息。そして栄養分を補給

いつも元気でいられたら、うれしいけど、気だるいときや風邪気味の時もあります。

体も心と一緒。

そんなときは、心を休ませることが第一。

そして少し落ち着いたら、心の栄養となるような寄り添えるものを探してみてはいかがでしょうか?