いつだったかの朝。
NHKの『あさイチ』という番組で医師であり作家の南杏子さんがゲストとして招かれていました。
たまたま見たテレビ番組で、お話に惹かれ著作を手に取ってみました。
生と死をミステリーのように書き上げた作品はどれも臨場感があり、深く深く考えさせられました。
避けられないから怖いのです
死は避けられない。
どんな高名な人でも、お金持ちでも避けることはできません。
そして、死がどのようなことなのかも語り継いでくれる人はいません。
たぶん無なのだろうな、と多くの人が思っているくらい。
死は分かるようで全く分からないミステリアスな存在です。
分かっているようで分からない得たいの知れないことで、かつ避けられないから、怖さは増すのかもしれません。
サイレントブレス
南杏子さんの『サイレントブレス』(幻冬舎2018/7/20)は、終末期を迎えた患者と訪問診療の現場のお話。
多くの人は病院で最期を迎えるますが、本書に登場する人たちはみんな自宅で最期を迎えます。
人生最後の日々どう過ごすのかということを、ミステリー風に書かれた良書です。
本書は6つのエピソードからなります。
つまり、6人の患者の最期。
サイレント・ブレスとは、著者の南さんが作った造語。
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎える言葉です。
多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。
人生の最終章を大切にするための医療は、ひとりひとりのサイレントブレスを守る医療だと思うのです
冒頭より引用
6人のブレス
一つのお話は、ブレスという言葉でまとめられています。
ブレス(breath)は呼吸の意味です。
マスコミ関係の仕事をしていた45歳の乳がん患者。
22歳の筋ジストロフィー患者。
84歳の高齢女性患者。
話すことのできない推定10歳の女の子。
72歳の膵臓がんの大学名誉教授。消化器外科の名医。
そして、主人公の父。
年齢も違えば、環境も違います。
10歳の女の子以外は、全員死を迎えます。
病気は病院で治すものだと私自身も思っていました。
医療はとても進歩していて、自分の意思がなくとも例えば栄養は、胃ろうというチューブで取ることが出来るし、呼吸も気管切開をして人工呼吸器で、酸素の吸入が出来たりします。
点滴も高カロリー輸液を動脈から入れることも出来ます。
いわゆる延命治療と呼ばれたりもしますが、ある程度の期間は医療を継続しながら生きることはできます。
治療自体を始めることは、容易かもしれません。
でも、治療を止めること、諦めることは大きな決断が必要です。
年齢によっても考え方は異なるし、ひとりひとりの考えが正解という答えのない問題。
治療の選択が必要となった時、どのような時間を過ごすことを望むのかは本人と家族が考えなくてはならないことだな、と強く思いました。
終わりを見つめることは今をも見つめる
アラフォーの私は、平均寿命から見ると折り返しよりちょっと手前。
勝手にあと半分以上あるんだよなと思っているところがありました。
時間を持て余しているわけではないのですが、なんとなく過ごす毎日。
終わりが近いと見えた時、自分ならどうしたいのか。
難しいテーマですが、本書が私に投げかけた問題は、読み終わった後もずっと残っています。
そして、身近な家族を大切にすること。
このなんとなく過ごしている時間が、いかに貴重であることかを気づかせてくれました。
死は負けではない。ゴールなのです。
『あさイチ』で南さんはそう仰っていました。
自分にとってのゴールはどう飾りたいか。
自分で考えて探して見つけ出すきっかけとなる本です。
十人十色、様々な人生があり、様々なゴールがあるはず。
自分の人生だもの、自分で選んでいきたいものです。
ゴールという終わりを見つめることは、今をも大切に生きるということ。
本書は終末期や死を取り扱った、一見重そうな内容ですが、清々しい読了感を与えてくれる本でした。