食事のしきたり。ならわし。その昔、食事の場って躾や教育の場だった。コミュニケーションが加わっても、感謝の気持ちは変わらない

暮らし

私たちの生活に必ず必要な常識。

みんなが守るから、秩序が保たたれて、住みやすくなったりしています。

常識というか、社会規範のことを「しきたり」とか「ならわし」という言葉を遣ったりします。

祖母に言わせると、昔に比べたらだいぶ変わってしまったらしい。

社会の変化に伴って、変わる常識、しきたり、ならわし。こういうのって、結構子どもの時の記憶がそうさせたりするんですよね。

〇△□のとおり

テーブルを拭くとき。

「〇のテーブルは丸く、□のテーブルは四角く拭くんだよ」

祖母から教えてもらった方法。

丸いものは丸く、四角いものは四角くきちんと拭く。

何気ない動作なんだけれど、今よりも様々な作法があって、代々と受け継がれてきたしきたり。

今でこそ、食事はコミュニケーションの場となっていますが、昔は栄養を摂取したり、躾として一般家庭で身につけておく常識の一つとして捉えられていました。

「いただきます」や「ごちそうさま」

食材そのものや作ってくれた人に感謝の気持ちを込めて唱えられる言葉。

食べられることへの感謝も含まれているのだそうです。

今でこそ、豊かな生活を送れていて、食べるものにも不自由しませんが、本の百年前は、食べるのにも一苦労した時代。

だから、食事の時間は大事に。

感謝の念を込めて無言で食べることが一般的だったんですね。

子どもたちにも都合がある

食卓に出されたものはすべて食べなくてはならないと教え込まれてきた私は、今でも残すのも残されるのも嫌な感じがします。

今の教育は違うと分かっていても、染みついてしまった考え方って変えるのは大変なことです。

子どもたちが、安易に食事を残そうとするのをみて、どういう反応を取ったら良いのか迷う場面に遭遇します。

心と体を変えていくのは難しいもの。

ついつい、「残さず、全部食べましょう」と言ってしまいます。

実は、このこと自体は自分自身が悪いと思っていないのではないかとも思うのです。

ただ、子どもたちに配膳した量が適切な量だったのかどうかは、検討する余地がありますね。

子どもには子どもの都合があるから、そこは理解しなくてはなりません。

偏食については、あくまでも我が家の場合ですが、食わず嫌いもあるので少しはチャレンジしてみようと伝えてみる。

以前、牛乳が苦手だった時に、牧場の牛さんを見に行ったことも。

「牛乳飲んでくれないと牛さん、悲しくなっちゃうよ」

牛乳ができる過程を見せて、一緒に考えたりすることもありました。

昔のように。コメ一粒残さない、目がつぶれるといった言い伝えをしているわけではないですが、理由や家庭を知ることで、作って食た人の気持ちを考えてくれるような工夫はちょこちょこ入れてみたりしています。

私たちの生活にあるしきたり

年中行事や冠婚葬祭など私たちの日常生活には、たくさんの常識というか「しきたり」とか「ならわし」といった慣習があります。

昔からの言い伝えとも呼ばれるこのことは、単なる迷信や信仰ではなく、禍を避けるものであったりもします。

時代が変わる中で、生活も変わっていくので、これといった正解が見えない世の中。

温故知新ではないけれど、どうしてその「しきたり」や「ならわし」が続いているのか、について考えてみてもいいのかなと思っています。