昔に比べたら、歩かなくなりました。
私の小学校区はとても広く、かつてはスクールバスがありました。
私はスクールバスの範囲ではなかったので、うらやましいなと思いながら通ったのですが、それでも子どもの足で60分弱かかる道のり。
集団登校や集団下校の道のりが心強くて、毎日道草をしていたような気がします。
冬場は雪国のために各家庭の親が毎日学校まで送り迎えしてくれるようになるので、冬を覗いた3シーズンのお楽しみ。
聞いたところによると今では、もう一年中、各家庭の親が送り迎えをするそうです。
時代は変わったのですね。
峠に挑む前に
日本には数多く峠があります。
箱根峠(神奈川⇔静岡)、碓氷峠(群馬⇔長野)、戸倉峠(兵庫⇔鳥取)など県を跨るもの。
中山峠(北海道)や笹子峠(山梨)など今となっては一つの県になった地域にかかる峠もあって多様です。
いずれにしても、峠越えは、昔から関所が設けられたり、自然の厳しさゆえの災害であったり交通の要所であったところ。
先日ご紹介した、碓氷峠では、今は廃線となってしまいましたが、峠専用の機関車が長らく活躍していました。
峠に茶屋が多い理由は、峠に向かう準備。
人間も汽車も峠は大変だから、一呼吸おいて挑んでね、ゆっくり休んでから行きなよといったことだったのでしょう。
甲州街道の難所「笹子峠」
笹子峠は、甲州街道の江戸と下諏訪のほぼ中間。
江戸時代から甲州街道の最大の難所と言われていました。
今は高速道路も鉄道もトンネルで峠を越えているので、峠越えの辛さは感じることはほぼないかなと思います。
駅でいうと、中央本線の笹子駅と甲斐大和駅の間。
笹子駅で降りると、旧道(むかし道)が案内されているそうです。
今でこそ舗装になっていますが、当時は舗装どころかこの時期は草も生い茂っていたはず。
深い峠の中をズンズン登っていくには、気力も体力も必要だったのでしょう。
峠の挟んで宿場町があったのは、休んで英気を養ってから、峠に挑んでいたのかもしれません。
峠越えのエネルギー源「力餅」
力を発揮するのは、炭水化物。
炭水化物は、脳や体を動かすといったエネルギー源です。
笹子峠に挑む旅人や村人にパワーを与えていた「笹子餅」。
今は、笹子駅から徒歩3分程度の駅前「みどりや」さんが、工場直売で販売しています。
昔は笹子峠の茶屋で売られていたそうです。
名前も「力餅」。峠越えのような持続的なパワーを蓄えるのは、餅は最適だったのかもしれません。
あのころと変わらない「笹子餅」
今から10年位前でしょうか。
初めて中央本線の乗ったときに、行商のおばあちゃんが電車内で売っていたのは。
大月駅だったか笹子駅でおばあちゃんが立ち売り販売もしてて。
あの時、立ち売りのおばあちゃんから購入したのが初めてで、おいしいのは知っています。
餅に限らず行商や駅での立ち売りは、日本全国見回しても数えるほど。
お餅や駅弁を買う、ただそれだけですが、旅にアクセントをつけてくれるものです。
みどりやさんのTwitterやホームページを見ると、今も昔も変わらないパッケージ。
訳あって、こちらの地域に仕事があった家族が購入してきてくれました。
これこれ、目の前の工場は元気なのかしら。
こちらのお餅。
当日に餅をついてそのまま笹子餅を作るから、本当の無添加。
ゆえに日持ちがしません。
すぐ硬くなるの。
硬くなったらなったで、オーブントースターでこんがり焼けば、別なおいしさになることも知っています。
10個入ですが、大人2、3人もいたらペロりと平らげられる量。
甘さ控えめの薄皮に、ぎっしりつぶあんが詰まった草餅。
背表紙の「甲斐日記」という書物のようなデザイン。
作者?の鈍亭魯文という人物は、実在の新聞記者(仮名垣魯文)というだそう。
笹子にまつわる記事や本でも書かれたのでしょうか。
峠には挑みませんが、パワー充填!
自宅に持ってきてくれた道中、カバンに揺られながら旅をしてきたのでしょうね。
寄り弁ならぬ、寄り餅です。
でも、お化粧のように、白い粉がまぶしてあって、昔食べたときと変わらぬお姿。
白い粉は餅とり粉?でんぷん?ですが、手に少し付くくらいで食感は絶妙。
知っていましたけど、本当に変わらない味。
あっさり目の大人の草餅です。
一つの大きさが小さめなので、何個でも行けそう。
現代人の私には峠に挑む勇気はないけれど、笹子餅からのパワーは確実に頂きました。
以前は、サービスエリアの売店や特急あずさの車内で販売されていたのだそうですが、今は、笹子の酒造と工場の前のお店だけ。
つまり、笹子駅で下車するか、甲州街道(国道20号線)に行かないと購入できないわけです。
オンライン購入が日常となった今だからこそ、直売の魅力がノスタルジックに感じられます。
隣県なのに、何となく越えられない峠を乗り越えられたら、実際に店舗に行って、笹子餅持参で峠から下界を見渡してみたいものです。