保育園の集金袋。キャッシュレスに慣れていたら、現金がない。現金を数える行為で思い起こすお金の原点

暮らし

4月から子どもたちが保育園に入園しました。

入園に際して様々なものを買いそろえましたが、保育園の中でも実費が必要な教材があるということで、懐かしい封筒形式の集金袋に必要な金額を入れて手渡ししました。

キャッシュレスが進む中で、昔を思い起こす体験になりました。

集金袋

初めての登園は10日ほど前。

様々なオリエンテーションを受けて渡された、お便りの中に茶色の封筒がありました。

封筒には、表書きに子どもの名前とクレヨン、帽子、連絡帳など教材費として4995円とありました。

お釣りのないよういそろえて、保育園の事務所に提出するのだそうです。

私自身も、小学生の頃は給食費を毎月持って行ってたなぁ。

大人になるにつれ割り勘は別でしたけれど、紛失の恐れがあるからと集金はほとんどなくなって引き落としなどに変わっていきました。

それにしても、4千円はいいとして、995円を集めるのには苦労しました。

スーパーなどで買い物をするときもカードを使っている私は、ほとんど現金を持ちません。

suicaを中心としたプリペイドカードやクレジットカードがメインで小銭はほぼないのです。

1万円札を買い物で崩すことを何度か繰り返して、なんとか集金袋に入れるお金を作り出しました。

キャッシュレスに慣れてしまうと、現金の扱いがなかなか面倒になっている自分がいました。

便利さは、危険ですね(笑)

でも、おはじきのように並べてお金の種類を子どもたちと数えたり、金額があっているかと確認し合ったりする出来事は、なかなかない体験でした。

便利さの陰に、こういった体験までカットされているのかもしれないですね。

面倒くさいことをただ面倒くさいと思わずに、体験してみるのもなかなか面白いものです。

執着心が希薄化

キャッシュレス生活になってからというもの、お金に対して執着がなくなったような気がします。

だから、どんどん出ていくのかもしれませんが…

お財布からお金を出すということは、見えるお金を人や機械に差しだすので、どうしても後ろめたさというか、お財布の中からお金が無くなる喪失感が視覚的にも得られます。

キャッシュレスにすると、数字的なものしか動かないので、喪失感が半減するのかもしれません。

実際、バスや駅などでは、suicaの残金を確認しないこともままあります。

(↑本当はいけないとは思っているんですが…)

そのくらい、現金とキャッシュレスではお金に対する執着心が薄れているような気がします。

実態があるよう、ないような

お金の始まりは大昔の物々交換から始まりました。

魚を持っている人が肉や野菜と交換していたものを、市場という場所に集まって交換したのが始まりと言われています。

物々交換から交換所に商品を預けて代わりに証明書(お金)をもらう。

これが、お金の原点だったと思います。

お金をたくさん持っていると、たくさんの商品が買えたり、サービスを受けることが出来ます。

つまり、お金をたくさん持っていると選択肢が広がるんですよね。

そういう意味では、お金はあればあるほど、嬉しいもの。

キャッシュレスになって、なんとなくお金の価値まで希薄化してしまっていた私は、現金に触れることでそういった原点までも忘れてしまうところでした。

実体がないからこそ、価値を確認する。

現金に戻した方がいいとは思わないけれど、原点に回帰することは必要なこと。

保育園の集金袋はそういう意味でも教育的なのかもしれないなぁと思わせてくれる出来事でした。