3月11日。
震災から11年も経ちました。
ずいぶんと時が過ぎましたね。
自然の気まぐれというか営みで、大きな災害となりましたが、あの日だって普段どおりの日だったはず。
想像したくもないけれど、考えることは、備えることにもつながると思うのです。
普段どおりの一日が
あの日、私は普段どおりに職場に来ていました。
あの時間は、ちょうど医療機関で患者さんのお世話をさせてもらっていたところでした。
その医療機関は地上15階建てで、免振装置が働いて、ふわっとした瞬間は、今思い出しただけでも怖いです。
長く大きな揺れに、怖がりながら、自分が今隣にいる患者さんの身体を話したら、一緒になって転んでしまう、と理性だけが働いて、なんとか力を保っていました。
震源地は三陸沖。
私が体感したのは、南関東。
東北地方で地震を体感された方は、さぞ怖かったろうと思います。
帰宅時は、ご存じの方も多いかと思いますが、停電などにより交通機関の麻痺。
信号機は動いていないし、車は渋滞しているし、電車も運休。
長距離をどこまでかは分からないけれど、とりあえず歩きだしてみる人でいっぱいでした。
不思議なことに、私は、125ccのオートバイでした。
たまたまですが、バイクの点検にそろそろ出さなくてはということで、ちょっと乗ってみようと思ったのがきっかけ。
おかげで、渋滞する車の横をなんとかすり抜けながらやっとの思い出帰宅しました。
当然帰ってみたら、当時使っていたブラウン管テレビは転げ落ちているし、花瓶も割れている。
ウチだけは大丈夫だということはないのだ、ということを改めて認識させられました。
あまりの驚きに、立ち尽くしそうになったのですが、とりあえず片づけをするのが先決。
金曜日だったこともあり、明日は定休ということは、安堵したことの一つ。
夜に帰宅して、驚きのままに掃除をしていきました。
やっとテレビがつながって、電気も付いた深夜、ニュースで目に入ってきたのは、この世とは思えない火の海。
テレビ越しで見たあの光景は、きっと一生忘れることはないと思います。
何があったのかを知っていくと、自分の家のことなどどうでも良くなってしまうほどの無力感が湧いてきました。
なんということだ。
立ち尽くすしかないというのは、このことだと思ったのです。
2011年の3月11日だって、途中までは普段どおりの一日だったはず。
私にも、みんなにとっても。
でも自然の営みで、一瞬に災害に変わることがあるんだ、時間が経つにつれて、自分も自然の中の一部でしかないこと。
自然の中で生かされていることを直に感じた出来事でした。
想像したくないけれど
災害に対して私にできることは、備えること。
地球や自然も生きている、だからくしゃみをすることもあるし、風邪をひくこともある。
そうなっても、対応できるようにある程度のことは備えておかなくては。
あの日の体験を踏まえて、食料の備蓄を始めました。
11年目の3月11日。
あの日の体験は恐ろしかった。でも、その記憶も少しずつですが薄まっていって、一つの歴史になろうとしています。
どういう形が良いのか分からないけれど、あの日のことを伝えてくれるテレビ番組を見て、記憶を呼び起こします。
そして、備蓄してある3日分の食料を確認。
あの日のことを忘れずに、これからも自然界で生き抜くために、どうした良いのか考えます。
どんなことがあっても
自然の中では、人間の想定内や想定外は関係ないのです。
私にできることは、本当に小さなことでしかないです。
普段は穏やかで美しい海や山、川が顔色を変えても生き延びるんだ、そういう強さだけは持っていたいものです。
家族との連絡方法の確認やいざという時の待ち合わせ場所。
想像したくもないようなことですが、3月11日だけは顔色を変えた自然を想像して、備えておく必要があると考えてます。