今住んでいる地域の駅は、駅ビルと一緒になって、遠くから見たら、どこが駅なのか一瞬では分からない感じ。
地方に行くと交通の要の役割も果たしている駅は、それこそ出会いと別れの出発点って感じ。都会の駅はランデブーって感じかな。
最近になってJRが発表した1日2000人未満の利用区間路線の公表。
ノスタルジーだけでお金はかけられないけれど、大事になんとな残せないものだろうかと思っています。
私の上京物語
私が地方から上京したのは、高校卒業したての頃。
上京するにあたっては、ワクワク、ドキドキ胸を高鳴らせ、丸で1週間後には帰ってこれるような気持ちで駅をくぐったのでした。
それもそのはず。
祖母が東京に出る時には、夜行列車に揺られて10時間かかっていたのが、今では新幹線で3時間ちょっと。
1/3で行けるんですから、すぐそこのような気持ちになってしまいます。
故郷から心が遠くなるかもしれないという気持ちもありながらも、距離的には時間の短縮にって、近さを感じてしまっていました。
私の育った地域の駅は、交通の要所で、バスの出発点でもあり折り返し地点があります。
駅の隣に交番があって、お土産物屋さん立ち食い蕎麦屋が駅の中にあって、少し大きめの駅。
でも、駅ビルではない駅専用の建物でした。
町の人の待ち合わせ場所もたいてい駅。
駐車場もそれなりにあるし、車出来ても安全な場所。
「時計台の前ね」って、言わなくても待ち合わせられるような場所です。
旅立ち巣立ち帰り口
そんなところで育った私は、都会の駅を見てビックリ。
何より、大きい。
列車もどんどん入線しては、出発して「こんなにも人がいるものなのか」と驚いたものです。
駅で待ち合わせをするには、どこどこと決めておかないと土台無理。
決めておいても、人の多さに、連絡ツールが無いと見失ってしまうほどですね。
上京から20年経って、この環境にも慣れてしまったものですが、都会の駅では感情をあまり感じられないかな、とも思うのです。
私の実家での移動手段は、主に自家用車。
遠方の都市に行くときや、都市部の学校に通学するときには、列車を使用していました。
列車に乗って出かけるってだけで、非日常的な感じ。
私の中での列車って、ちょっと特別感があるんですよね。
だから、今でも実家に帰るときは、駅をくぐるし、駅に着くと「帰ってきた~」って風を感じられるんですよね。
ノスタルジーだけに浸れないのは承知の上で
最近、新聞やニュースで、JRの線路維持が会社単体で困難との見出しを見ました。
そのために、1日あたりの利用客が2000人未満の路線を公表。
地方各地に衝撃を与えました。
私が育った地域でも、多くの路線が赤字。
幸いその区間に実家近くの駅は含まれていませんでしたが、他人事とは思えない結果でした。
実家に帰るたびに感じる、少子高齢化と過疎化がすすむ地方の現状。
期末には、どこかの学校が統合されたり、併合されたりという話題は珍しいものでもないです。
そういう状況の中で、社会的なインフラという意味だけで鉄道を残すというのにも限界があるのは理解しています。
JRだけでなく、地域と一緒に負担をするという方式の上下分離の話も検討しいかなくてはならないというのも、納得のいく話。
だからと言って国も地元の自治体のお金だって、みんなの税金だから有限。
みんなで顔を突き合わせて考えたけれど、結果的に廃止せざると得ないという答えを出すところも増えてくるでしょう。
ノスタルジーだけでは存続は厳しいですものね。
数年前に行ったことのある、こちらの中土駅。
長野県松本市と新潟県糸魚川市を結ぶ大糸北線です。
JR西日本が経営状況悪化を理由に不採算路線の廃止を含めた見直しをすると表明しています。
姫川に沿った風光明媚な路線。
自然と隣り合わせだから、水害や雪害もあって不通となることもあった路線です。
松本市と糸魚川市を結ぶ高規格道路の計画が持ち上がったのも、存廃問題浮上を前に進ませたのかもしれません。
鉄道会社の存続と地域の存続どちらも両輪で発展できるようないい知恵が出ないものか、悩ましい問題です。