「がたんごとん」子どもは繰り返して覚えていき、大人は放出しながら本来の自分に立ち返る。

思うこと

自宅にずっといる私には、仕事のような日課のような存在のブログ。

ネタがある日もない日も、とりあえず向き合うようにしています。

自分の考えを整理して、インターネットという大海に放つというということが、あやふやな自分を律してくれているのかもしれません。

ののさま

国内外問わず、「禅(ZEN)」が流行っていると聞きました。

農家であり、お寺の檀家の生まれの私は、お寺の行事にはなじみ深いです。

お寺が運営している幼稚園には4歳から通いました。

朝の挨拶から、昼ご飯、さようならまで祈りが続きます。

「ののさまは 口ではなんにもいわないが ぼくのしたこと 知っている 知っている」

と毎日ののさまの歌も歌っていました。

ののさまとは、仏様の幼稚語です。

子どもながらに「のの様はいつもみんなのことを見ているんだよ」と幼稚園でも家でも教わることで、監督者でもない、宇宙や地球を包むもっと大きな存在がののさまなんだと思っていました。

ののさまの希薄化と再現

小学校、中学校と上がるとののさまのことは薄れてしまいました。

中学高校なんて、勉強でもスポーツでも椅子取りゲーム。

自分が座る椅子があれば、とりあえずいいんじゃないの?

みたいな考えを持っていたこともあります。

大人になって会社勤めを始めると、自分が働く意義をお金でしかとらえられていなかったように思います。

ある日、やる気がなくてなんとなく出かけた先で、ボーっと海を眺めていると、ののさまの歌を思い出しました。

子ども時代の洗脳?ってすごいですね。

ある意味怖い。

ののさまって、何かしてくれるわけではないのです。

決めるのは自分。

それならば、自分がご機嫌で「あ~良かった」って思える選択をした方がいいんじゃないの?

そう思って今に至るわけです。

特に何かを信仰しているわけではない私。

子どもの頃の家庭環境や教育環境が今の私の基礎をつくってくれたのではないかと思うことがあります。

ののさまは、見えない価値に注目しよう、自分の行いを振り返ってみようと教えてくれたのかもしれないと今更ながら思うのです。

絵本の力

押しつけず、子どもたちに思いを伝えることはできないかなと考えたのが、絵本。

いろいろ考えてみたけど、自分たちで選んでもらうことにしました。

子どもコーナーの絵本はカラフルで、子どもたちも大喜び。

思い思いの本を探してくれました。

「これ読んで~」と初めて持ってきたのが、こちらの本。

まっ黒な汽車が、がたんごとんと、やってきて、駅で待っているみんなを次々に載せていく物語。

「のせてくださーい」と言って汽車に乗り込み終点へ。

汽車の音とのせてくださーいの繰り返し。

とってもシンプルな本。

一度読み始めると、必ず「もういっかい」とリクエストされる不思議な本です。

吸収と放出

こうやって一緒に絵本を読むと、子どもの心は真っ白ななんだなと改めて思います。

こうして外部からの刺激を受けて、様々な色を取り入れて自分色に染まっていくのですね。

吸収と放出の転換点はどこなのでしょう。

意外と社会性を身に着けたころの早い年齢かもしれません。

様々な色が混じりあったり、情報があふれかえってしまった大人には、本来の自分に立ち返ることを目指すために「禅(ZEN)」が良いと注目を浴びています。

宗教ではなくて、自分を見つめなおして一旦無になってみることは、まっさらなキャンバスを持つ子どもたちと触れる上で大切なことかもしれません。

子どもたちは身近な絵本や家庭環境や社会から様々な色を混ぜ合わせて自分色を創っていくのですから。