認知症専門医である長谷川嘉哉先生の著書『ボケ日和』の読書感想です。
先生が書いた本だから、とても難しいのかなと思って読み始めましたが、時折クスッと笑いも交えて説明をしてくれる本です。
必ずみんなに訪れる死についても分かりやすく書いてくれています。
もしかして矢部さん
本をと手に取った理由は、表紙のおじいちゃんとおばあちゃん。
こういう柔らかい感じ好きなんですよね。
でも、どこかで見たことがあるようなタッチ。
もしかして矢部太郎さん?
矢部太郎さんは、『大家さんと僕』が大ヒットしたお笑い芸人さんです。
私が好きなのは『ぼくのお父さん』
矢部さんのホンワカした雰囲気が絵に込められているようで、なんだか好きなんですよね。
過激な?!タイトル『ボケ日和』
手に取った本は、認知症専門医である長谷川嘉哉先生の『ボケ日和』かんき出版(2021/4/19)
長谷川先生は、岐阜県の医療法人ブレイングループの理事長です。
在宅生活を医療・介護・福祉のあらゆる分野で支えるサービスを展開しています。
もともと医師の家系ではなく、長谷川先生の祖父であるおじい様が認知症になった経験から医師の道を志して夢を実現された方。
長谷川先生の祖父の介護は長谷川先生の母である、お母様が担っていましたが、介護保険のない時代にお母様が一人で介護を担う姿を目の当たりします。
おじいさまが亡くなられた時に、何かできたことがあるのではないかと問いかけ、在宅医療の道を志されます。
そのご経験もあってか、節々に介護をされている方への愛を感じられる本です。
世の中には、介護にしても医療にしても福祉にしても、本人主義、本人の気持ちを尊重してという文言が含まれます。
確かに、病気になっても介護が必要になっても本人の気持ちは尊重したいものです。
でも、本人の気持ちを尊重するあまり、本人と生活を共にしている家族の尊厳が失われてしまっては、元も子もありません。
一番は介護をしている方が笑顔にならないと、本人との関係もギクシャクしてしまいますよね。
そういう面で、長谷川先生は、介護している家族のことも大切に考えて診療してくださるライフドクターなんだなと思いました。
病気を診るのは医師の仕事ですが、患者の生活や家族のことまで考えてくださるって、すごく大変だと思いますが、素敵なことです。
本書のところどころに愛あるエピソードが、全人的な先生だと感じさせてくれます。
認知症の本音
本書では、認知症の進行段階を「春」「夏」「秋」「冬」の4つの章に区切って、患者さんにどんな症状が現れるのかを説明してくれます。
それぞれに、たくさんのエピソードがありますが、どれもありそうなお話ばかり。
待つことが難しくなったり、車をこすり始めたり、詐欺に遭いそうになったり、伝えたことを忘れてしまったり…
認知症ってなんとなく分かっているようだけど、本人のキャラクターとか性格なども混ざり合ってしまいがちな病気。
「なんか変だな」と感じ始めたら、認知症の専門医を訪ねることで、本人も家族も楽になることもあるんだなと思いました。
物忘れというと、否定する気持ちが強くなりますが、どことなく「ちょっと変だな」と感じているところが本人にもあったりするそうです。
専門医というと敷居が高く感じるところですが、思い切って相談してみることがその先を照らしてくれることにもなるんですね。
認知症介護の勲章
認知症の一歩手前であるMCI(早期認知障害)や認知症と診断されたら、外に出ることを進めています。
本人も家族も自宅でふさぎこみたくなる気持ちも分からなくはないですが、自宅の外にはとても刺激的なものがいっぱい。
散歩に出かけて草花を見たり、香りを楽しんだり、自宅の外には五感を刺激する要素がたくさんあります。
特に要介護の人はデイサービスがおすすめだそうです。
デイサービスは、幼稚っぽさをイメージして敬遠される方もいるようですが、一度お試しで行ってみると、意外にも同年代の方と笑いあったりして楽しかったりするそうです。
昭和の頃は、介護は家族が担うものでした。
これを社会全体で支えていこうと創設されたのが介護保険制度。
皆さんの保険料と税金、利用者の負担金を中心に賄われています。
介護保険を利用するということは、本人と家族の生活を守るということなんだなぁと思いました。
そして最後はこの世を去る
冒頭にも書きましたが、本書では、認知症の進行段階を「春」「夏」「秋」「冬」の4つの章に区切って、患者さんにどんな症状が現れるのかを説明してくれます。
ちょっと変な春(認知症予備軍)からかなり不安な夏(初期・軽度)
困惑の秋(中期・中等度)から決断の冬(重度・末期)
困惑の秋で迎える、幻覚や徘徊。暴言や暴力は家族を混乱させます。
「こんな人ではなかったのに…」「この状態はいつまで続くのだろう」と戸惑う家族も多いそうです。
一番ひどい時期は1~2年で落ち着くのだそうです。
本人の体力の衰えとともに、幻覚や徘徊などの周辺症状も落ち着いてくるのだそうです。
出口が見えることは、家族が選択できることになります。
目安であったとしても、今度たどる道を教えてくれることは、大切なことだなと感じます。
そして、時間は有限。
この世に生まれた誰しもがこの世を去ります。
年齢が進むにつれ、人間は必ず食事が摂れなくなるそうです。
筋肉が思うように動かなくなったり、嚥下困難で食事難しくなったり。
老衰によって食事量が徐々に減っていくのだそうです。
最終的には食事自体を認知することが出来なくなり、命を終わりを迎えるのだそうです。
なんとなく分かっているんだけれど、目を背けているような、そんな気がするんですよね。
生命体として食事が摂れなくなったときは、人生のクライマックス。
「病院に入院する」か「自宅・施設での看取り」かを家族が選択することになります。
病院に入院すれば、「医療的処置をしない看取り」をする選択はありません。
病院に入院すれば、拒否しない限り、胃に管を通して直接栄養を送る「胃ろう」や首元からふと静脈までチューブを入れて栄養を送る「中心静脈栄養」を施されます。
胃ろうや中心静脈栄養が一時的な処置であれば問題ないのですが、肉体の寿命がほとんど尽きている方に行うのは、本人の苦しみを長引かせてしまっているだけなのだそうです。
人生観や死生観は人それぞれ。
少し前に厚生労働省が提唱した『人生会議』
自分の事として考えていきたいと思います。
家族だから割り切る
誰しもが老います。
一番大事なのは、介護する人、介護される人がともに笑顔でいられること。
喧嘩しても、笑いに変えられる余裕が必要なんですね。
だからこそ、介護者は、「自分が見られるところまでは看る。それ以上は他の人の手を借りる」と割り切ることがとても重要です。
頑張りすぎず、何事もほどほどが大事。
世の中には手を貸してくれる人がたくさんいるし、頼ってもいいんです。
介護というとなんとなく、お先真っ暗な気分になりがちですが、その人らしい生活は家族にも絶対に必要であることを教えてくれた本でした。
今まさに介護を担っている方にぜひ読んでほしい、そんな素敵な愛のある本です。