2年ぐらい前に売れていた本を図書館で借りてみました。
『ケーキの切れない少年たち』 新潮社 (2019/7/12)
著者の宮口幸治さんは児童精神科医。
多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実を教えてくれました。
新しい発見を与えてくれるとともに、子どもに寄り添うことの大切さを感じた本でした。
給食のありがたみ
小学校に入ると給食が楽しみで仕方がありませんでした。
私の通っていた学校は、北国の田舎の学校だったので、学校に給食室が付いていて、栄養士さんと給食の調理員さんが3人で毎日作ってくれていました。
パンは近所のパン屋さんのもの。
交通の利便性が良くなかったこともあり、今でいう地産地消みたいな給食でした。
毎日温かい給食を美味しくいただいて、月に一回はお楽しみ献立などという児童が希望した給食が反映されたものもありました。
4時間目になると給食が待ち遠しくて仕方がなかった私。
給食当番も大好きでした。
先日、給食が児童の栄養源になっている子どももいるという記事を見て、給食の大事さを改めて知ったことと、生活に余裕のない家庭がコロナ禍で増えてきているのかな。
自我が芽生えて偏食が見られ始めた我が子は大丈夫なのだろうかと思っていたと時に、図書館で予約をしていた『ケーキの切れない少年たち』を借りることが出来ました。
多様化の時代
衝撃的なタイトルですが、著者である宮口先生の少年院での経験や児童を診察しての経験をまとめられている本。
子ども時代の経験というか普段の生活が人格を形成しているのなら、毎日がいかに大切な時間なのか。
子どもたちに対して自分が出来ることは何なのかを考えさせられた内容でした。
世の中には若くして、悪いことをしてしまう少年少女がいます。
その少年少女は、逮捕され、場合によっては少年院に入院させられたりして、矯正教育を受けるのですが、「反省以前の子ども」が沢山いるというのです。
矯正教育施設という環境の中で、とりあえず同じよう真似てみようという安易な心理が働くのは理解できます。
しかし、その心理にすら到達できないグレーゾーンの子どもたちがたくさんいるというのです。
認知能力が低いにも関わらず、知的障害とも言えない。
学校の勉強にもついていけなく、学校の先生のも疎まれたりする。
そういう環境の中で知的にも、社会性的にも、もちろん学習もできないまま義務教育を卒業してしまい、支援がないまま社会にでてしまうというのです。
現代は多様化の時代で、様々な人が色々な考えをもって生活をしています。
画一的と批判的を受けますが、最低限の教育を受けられる日本の学校教育はありがたいと思っていました。
本書に示されているように、私が子ども時代の時でも、勉強が苦手な子や運動が苦手な子がいました。
イジメというかイジリもありました。
そういう事態に今遭遇したら、どうしたらよいのかは未だに悩ましい問題。
でも、本書に書かれているように、認知機能の問題だとするならば、子ども同士ではどうにもならなくとも大人側から支援やアプローチが可能なのではないかと思いました。
簡単なことではないと思います。
子どもには親がいるし、親の考えも十人十色。
子どもからすると親が絶対的な存在であるとは思いますし。
単純なことではないと理解していますが、アプローチの一つとして著者の考えるコグニティブトレーニングが教育現場にあってもいいのかなと思ったりしました。
発見と支援
コグニティブトレーニングとは認知機能のトレーニングの事。
身体面、社会面、学習面の3方面の認知機能を向上させていくトレーニング。
ちらっと見ると、1歳6か月検診や3歳児検診で行った積み木の検査や発達、心理の検査と遊びのような状況下での学び。
私自身は、1歳6か月検診や3歳児検診で何かが引っかかることを怖れていましたが、著書を読み終えた後だと、早期発見が早期の支援につながって、ゆくゆくは本人や家族のためになるのだということを理解しました。
実際に発見しても、保護者である親の理解を得るのはまた別のアプローチが必要なのだと思いますが、大人が子どもを寄り添い、守り育てることって本当に大事。
自分自身にできることは、よく子どもたちを見ておくこと。
そして、必要な時に手を貸して、よく話を聞いてあげることなんだろうな。
特殊な環境下で教育を受けた少年少女たちを診察した宮口先生のプログラムが多くの人に知られて、「生きづらさ」を感じている子どもたちも「生きやすく」生き生きと生活できるように一人でも多く増えてほしいなと思いました。
私には私のできることを、確実に。
子どもたちと家族の時間を大切にするにはどうしたらよいかを考えさせられた本でした。