「最近の運動会は、順位をつけないらしいよ。」
そんな声が聞こえてきたのは、入園したての5月ごろ。
小学校や中学校の運動会のプログラムが発表されるタイミングで流れてきた噂話でした。
どちらかというと、運動は好きな方だった私。
そういう時代なんだなぁと思いつつ、少し寂しい気も。みんなで楽しめる運動会があるといいな、と思っていたら、新たな試みをしてくれた田舎の地区民運動会がありました。
競争はしない方がいいの?
東京都内だったか、「どの子どもも頑張っているのだから、順位はつけずに手をつないでゴールしましょう」
先生の掛け声ともにスタートして、みんなで手をつないでゴール。
微笑ましいといえば微笑ましいのですが、昔を知っている私としては、なんだか物足りないというか、趣旨が異なるようなそんな違和感を持ってしまいました。
順位をつけると、足の遅い子は自信を無くす可能性があると考える一面も理解できるし、社会に出れば、競争なんだから、運動会くらい競争させてもいいんじゃないかという考え方も頷けます。
深く考えてはこなかったけれど、子どもたちの成長を考えているからこそ、個性の尊重や環境の提供が議論となるんですよね。
自分の適当加減を諫めつつ、匙加減が難しいけど、意外と深く大人が介入せずに、適当でもいいんじゃないと思ったり(汗)
やり遂げること、楽しむこと
私は、運動が好きだったので運動会は楽しみにしていた子どもでした。
クラスの中でもリレーに選ばれたりもしたので、走ることについて多少の自身もあったのかもしれません。
足が速いとか、マラソンが得意というのは生まれ持った特技だったりして、練習したからと言って急激に早くなるわけでもなかったりします。
だから、運動ができる人は羨望のまなざしを受けたりするのは仕方のないこと。
でも、運動会の目的って、足の速さとかボールを遠くに飛ばす能力とかを図る大会だけではないはずです。
運動のできる子を認めてあげつつ、不得意な子も最後までやり抜いて良かったと認めてあげる場でもあったりします。
順位をつけられたり、競争があったりすることは、大人の社会になってからもずっと続きます。
一つの運動会は、子どもたちの成長を促すきっかけにすぎないのかなとも思います。
人生を楽しむために、運動が好きな子もそうでない子も、やり遂げてみよう。
そうやって、心の強さを培っていくかもしれないと思ったりもするのです。
運動ではない運動会
田舎ならでは運動会。
北国にある実家の地区民運動会では、へんてこな競技がいっぱい。
リンゴの皮むき大会。
玉ねぎの皮早剥き大会。
綱引き
など、地元の農家の協力を得て、運動会と収穫祭を兼ねて開催されていたりします。
リンゴの皮なんかは、ヨボヨボのおばあちゃんが一等賞だったり、玉ねぎの早剥きなんかも、農家のおばちゃんが一等賞だったりします。
運動ではないけど、早さも競いながら、みんなが笑えるそんな地区の交流だったなと振り返ったりしています。
小さな運動会の試み
福島県いわき市の内郷地区の運動会が開催されたニュースを見ました。
バケツリレーや土のう積みレースなどが種目にあったそうで、小中学生と地域の人が大運動会に参加されたのだそうです。
防災を目的とした運動会。
これは、グッドアイデアですね。
みんなで楽しみながら、学ぶこともできる。
ついでに防災訓練にもなる。
こういう取り組みって面白いですよね。
運動会ももうすぐ。色々論争もあるようだけれど、みんなが楽しめて、最後までやり遂げることができるように見守っていきたいと思っています。