もののあはれ。
物の哀れは、平安時代の王朝文学を知るうえで重要な文の一つ。
見て、触ってみて、聞いてみて五感に生ずる趣を言葉で表したもの。
根底には情趣や無常感があります。
「もののあはれ」の文例で必ずと言っていいほど登場するのは桜。
中学生の時に初めて学んだ古典では、感じられなかった感性が年を重ねるごとに少しずつ感じられるようになってきました。
ヒマワリを見て思うこと
戻り梅雨というべきか、シトシト雨ではない強い雨が降り続き、怖さを感じるほどの自然の脅威に驚かされます。
夏至を1か月前に過ぎ去った今も、日の出は早く、5時前にお日様を感じられると、今日はいいことがあるかもと勝手に思い込んでしまうほどのパワーがあります。
そんなお日様の方向をきちんと顔をながら見上げているのは元気なヒマワリ🌻
ヒマワリが元気に花を咲かせると、あの黄色の大きな花からたくさんの元気をもらえる気がします。
ひまわりの花言葉は「憧れ」「情熱」「あなただけを見つめる」など。
ポジティブな花言葉が多く、エールを送りたい時などにピッタリの花です。
そういえば、東京オリンピックのメダリストに渡された「ビクトリーブーケ」はヒマワリでしたね。
主役を引き立てながら、メダルにも負けない力強さや元気さがあるヒマワリは夏の象徴といってもいい花ですね。
もののあはれ
花を見ていると、ふと思いつく言葉。
もののあはれ。
中学生の時に初めて習った古典の授業の時に知った素敵な言葉です。
あの時の授業は忘れてしまったけど、こういう趣のある言葉だけは忘れないのが不思議。
そのくらい、言葉の響きとか、感性とか言葉には言い表せない何かが、もののあはれにはあるのです。
もののあはれに代表される花といえば、桜。
卒業式、入学式シーズンに咲く桜は、別れと出会いの象徴。
桜が、きれいに咲き誇り、「ああ、きれいだな」と思っていたら風やら何やらでパッと散ってしまう。
桜の花は3日から5日で散ってしまうというから、本当の満開の見ごろ時期は短期間。
だから、桜が咲くまでを楽しみに心待ちするし、満開の桜の下で宴をしたり、散りゆく桜を愛しく思い心惹かれるのだろうと思います。
そうやって考えると、もののあはれって儚い、無常を表すいい言葉。
人間の一生を一言で表すときに、最もふさわしい言葉のような気がします。
中学生の時に、惹かれた言葉の意味が、大人になった今、ようやく理解できるようになった気がします。
一見すると、無常という何もないという意味であれば、生きている意味とか存在する意味って何なんだろうと若かりしときは思ったものです。
そういう一方からの見方しかできなかったんですね。
若さゆえの短絡。
大人になった今思うことは、もののあはれに希望がないかというと、そうではないと思うのです。
人間の一生は地球の生命など大きなものからすれば、一瞬に過ぎないけれど、でもそこには何かしらの意味があって生を受け、全うする義務があるのではないかと思うのです。
ひとりの一生ではなくて、個々の一生が集まれば、時代が築かれ、文化につながる。
その一つでしかないのだけれど、誰一人、何一つとして不必要な人はないと思うのです。
だから、もののあはれには、今は無常しか感じられないけれど、必ず未来につながっているということ。
だから、未来への希望があると思うのです。
今時期に元気を分けてくれるヒマワリ。
花の命は短いようで結構長いんですよね。
ものは捉えようです。
矛盾していると言われれば、それまでですが、様々な見方があっていいと思うし、そういう美的な言葉であるということも、もののあはれの魅力なんだと思います。