『反応しない練習』無駄な反応はせずに、行動していこう。気持ちがスッと落ち着きます

読書感想

自分というものが確立されていても、自分以外の他と比べてしまうと、つい比較してしまいがち。

比較がもたらす効果があればいいのだけれど、羨望や妬みにつながってしまうと、悩みにつながるのかな。

草薙龍瞬さんの『反応しない練習』KADOKAWA (2015/7/29)を読んでみました。

心を穏やかに、自分が自分を受け止めて、シンプルに生きることって大事。

本書の著者は僧侶である草薙龍瞬さん。

ブッダの考えを紹介しつつ、教えを導いてくれます。

理解をする

人間が生きていれば、悩みはつきもの。

まずはそのことを自分自身が理解することです。

つまり、ブッダは悩みはあるものだから、悩みがあるとと理解して解決策を探すというプロセスを示しています。

心の状態は、言葉で確認し、感覚を意識することで分類がされます。

自分が急いでいるときに、子どもがジュースをこぼしてしまった。服はびちょびちょ。

という状態の時は、出発の準備、掃除、子どもの着替えなど確認し、自分は焦っている、イライラしつつあるという状態を意識することなのかなと思います。

確かに、惰性で「急がなくちゃ」と焦っているだけだと、相手を頭ごなしに怒ってしまったり、非難したりしてしまいます。

まずは、今自分がどのような状況にあるのか言葉で確認して、感覚の意識が分かると、心の反応が理解できるのかもしれません。

判断しない

人が悩んでしまう原因の一つは、判断しすぎる心。

判断は、自分勝手な思い込み決めつけです。

先のことはわからない。

自分を否定せずに、素直になり、今目の前にあることをやるということが大事なのです。

最近では承認欲求という言葉を耳にすることがあります。

自分が誰かに認められることは、嬉しいこと。

その思いが強すぎると、判断の基準が自分自身ではなくて他人から見た自分に置き換わってしまいます。

自分が自分自身を認めてあげること。

「私は私を肯定する」と自分に語りかけることは、自分自身を取り戻す一歩になるということです。

自由になる

承認欲求は時に、自分自身の妄想を誇大させます。

他人からの評価って気になりますよね。

その気になる部分が承認欲があるということ。

自分は他の人からどう見られているのだろう、と妄想してしまうのです。

この妄想は過剰すぎると、思い込みになります。

陰口をたたかれているのではないか、などと思ってしまうのは、自分の勝手な妄想による思い込みなのだそうです。

確かに、誰かに言われたわけでもないし、自分自身が勝手に思い込んで、自分を否定し、傷つけていただけに過ぎないのかもしれませんね。

確かめようのないことは追わない

これは結構、大事なことかもしれません。

勝手な妄想をするのも、確かめようのないことを延々と追いかけることも、自分自身がやっていること。

追いかけることをやめることも自分自身しかいないのです。

そこにあるもの理解して淡々と行うことは、すごくシンプルですが、自分自身が「人生、これでいい」という安らぎにたどりつくための最短ルートなのですね。

考える基準を持つ

確かめようのないことをどこまで追いかけるかは、自分次第です。

他の人がどう思うかではなくて、自分がどう思うかということなんですね。

心の状態を見るというブッタの考え方でいうと、幸か不幸かは、快か不快かということになるのだそうです。

快は喜びや楽しさを感じている状態。

不快は怒りや恐れ、不安な状態。

快を増やして不快を減らすこと。

ゴールは、納得

自分の人生が「自分が納得できる」ものであれば、迷いはなくなります。

失敗しても自分が、納得できればそれでよし。

それが、正しい生き方であったり、考え方であったり、心の使い方になるというのです。

本書は、僧侶である著者が執筆されていることから、宗教というか信仰というか何を神髄にされているのかを感じることが出来ました。

ブッダの教えを基本としていますからね。

自分が生きる基準は何なのか。

人生の最終ゴールが「最高の納得」という点においては、なるほど!と膝を打ちました。

ブッタが出した答えが正当なのかは、分かりませんが解のひとつ。

自分が納得できる人生を送ろう。

そのために、無駄な反応はせずに、行動していこう。

本書の自分なりの解釈はこんな感じ。

読み終えた時に少し、すっと気が落ち着いたようなそんな気がした本でした。