北国の母から電話がありました。
大雪の後、気温が上がったらしく、昼間に大量の雪解け水に苦慮したと思えば、夕方から冷え込み始めて朝は通年通りになってしまい、昼間の雪解け水がガッチリと凍ってしまって、つんつるてんになっているのだとか。
高齢者の母は、「歩くのもおっかないよ~」と苦笑していました。
春先の大雪は毎年あるものですが、雪に限らず、気候が激しくなってきているような気がします。
変化を恐れる体質
自然を愛でたり、楽しむことができるのは、季節の移ろいがあるから。
いつも同じ風景は、そこにあるものとして変わらないことが安心感とつながるもの。
時には雨が降り、風が吹き、雪が降るからこそ、柔らかな日差しやはしゃぎたくなるような暑さが引き立てられるのかな、とも思います。
季節から感じる変化は、楽しむことができるのに、どうも、自分の変化は恐れてしまう自分がいます。
たぶん変化が怖いんです。
変化した先で、失敗したらどうしよう。
変化したことによって、今の安定に戻れなくなったら嫌だな。
変化に対する感情は、私自身でポジティブよりもネガティブに捉えてしまう割合が強くなっているのかもしれません。
ガラケーからスマートフォンへ
ガラケーからスマートフォンへの変更も、恐る恐るでした。
私がスマートフォンへ変更したのは5年前。
同世代からすると、かなり遅い方です。
それも、家族のスマートフォンの故障から、携帯ショップを訪れて、周りから、せっかくだからと変更を迫られての決断でした。
決断というほど大げさなものでもないのですが、私にとっては、ガラケーで事足りているのにどうして?という思いの中で半ば流されてしまったようなもの。
購入してしばらくは、あまり興味も持てず、スマートフォンを持て余すことも多々でした。
恐らく、自分で変更の手続きはしなかっただろうな。
周りに押されて変更したことが、予想通り功を奏して、今となっては生活の必需品。
電子マネーや銀行、行政の申請書類などあらゆるものがオンライン化になって、とても便利になりました。
この先も、どんどん進化を遂げていくのでしょう。
必要に迫られてから、変化せざるを得ないのと、自分から変化するのでは、後者の方が気が楽なのも知っています。
別に変化したら失敗してもいいじゃない。
元に戻せばいいんだから。
気楽な気持ちで変化を受け入れる、自分の器量が欲しいものです。
明るい未来を切り開くのは?
昭和の三種の神器と言えば、テレビ、洗濯機、冷蔵庫。
昭和30年代後半から爆発的に各家庭に普及していきました。
当時は戦後から10年が過ぎ、豊かさのためにモーレツに働いた世代。
私の祖父母も戦中戦後の苦しい時期を乗り越えて、朝から晩まで働きづめで、三種の神器を手に入れたのだと話していました。
それから半世紀以上が経ち、私のようにテレビは無くてもいい、などという人がいると、三種の神器を手に入れた世代は少し驚きます。
その代わり、食洗器が欲しいというと、「茶碗くらい、洗ってあげるわよ」と言われてしまいます(笑)
昭和の時代の三種の神器が、世の人々の豊かさの象徴やあこがれの存在なのだとしたら、令和の家電は時間短縮をサポートしてくれる存在。
そんなに生き急いでどうするの?
と言われそうですが、時間を節約できるのなら、家電にお任せしたいのです。
同じ時間が流れているんですけどね。
自分の時間も大事にしたい、でも家族との時間も大切にしたい。
節約した時間を何に使うのかは、本人次第ですが、時間が増えることで選択肢と心の余裕が増えるのです。
何を隠そう、私は今、食洗器を狭いキッチンに導入するかどうかを迷っているのです。
スペースを開けられるのか、コンセントやアースはどうするのか、水は引けるのか、知恵を絞らなくてはならない点も沢山あって、途中で考えるのを放棄したくなります。
考えるのをやめても、今と変わらない生活があるだけです。
変わらないというのは、安定しています。
変化をするというのは、勇気と知恵が必要です。
明るい未来を切り開くのは、さあどっち?
勇気を出して根気よく考えて、選択していきたいと思っています(笑)