雑多な納屋で思う。モノのありがたみと断捨離。裏側まで想像力を働かそう。

暮らし

北国にある実家。

小規模ながらも先祖代々農家を受け継いできた我が家には、農機具などを補完する納屋があります。

この納屋は数えきれないほどの骨董品?がたくさん詰まっている謎の納屋なのです。

捨てられない実家の人々

私も私の両親も昭和生まれです。

祖母は、昭和恐慌や太平洋戦争をも経験した世代。

だからなのか、とにかく物を捨てません。

さすがに肉や魚のパックまでは取っておきませんが、それでも、パックを洗ってスーパーのリサイクルに持ち込んでいます。

モノは1回使っただけでなく、まだまだ活かせるものだ、と考えているようです。

そのため、モノが壊れても、大半のは修理します。

以前、洗濯機が壊れたのですが、電気関係の仕事をしていた父が洗濯機を分解して直してしまったことには驚きました。

新しいものを買って使う喜びよりも、修理して直すことの方が喜びが大きいのかもしれません。

おかげで納屋には秘密の道具が詰まっています。

住人しか分からない代物。

それも先代の住人から受け継がれているモノもあります。

こんなの捨ててもいいのに。

私自身がそう思うものも沢山あります。

片づけている自分に酔う

生活をコンパクトにして、スマートな生き方をすることは、物事に決断が早くなりそうですし、時間を無駄にしないよ下がるかもしれしないと思って、断捨離を進めている私にとっては、真逆の世界。

実家に帰ってすることといえば、プチ片づけです。

今考えると「私もたまに帰って来ては、実家のために貢献しているのよ」そんな恩着せがましさもあったかもしれません。

それでも、自分としては良いことをしているという自覚があったので、都会ぶった痛い私を実家の家族を前にさらし続けていました。

モノの裏側まで想像力を働かそう

祖母や母に至っては、終わった月カレンダーや頂き物の包装紙まで取っておくものだから、困ったものだと思っていました。

ある日、祖母が包装紙を小さく切ってメモ紙を作っていました。

「隣町の和紙の職人さん、後継者を募って育てるの大変だって言ってたよ」

そんな話を耳にしながら、「今は紙が少なくなってきたからね」などと返していました。

祖母が、「紙っていうのはね、昔はとっても貴重だったんだよ。」と続けます。

そういえば、戦後は米と塩とタバコが国による専売でした。

貴重な紙も専売商品になるはずでしたが、紙業業界の反対とGHQからの要請もあり、専売にはなりませんでした。

国が守りたいほど品物だった紙。

紙が貴重だった時代に生きた人だからこそ、紙のありがたみが分かるのだと改めて思いました。

個の和紙の職人さんは、私が小学生の時に紙すきを教えてくれた職人さんのこと。

コウゾとよばれる原材料ではなくて牛乳パックを使っての紙すき。

自分ではうまくできたと思ってみても、乾燥させてみると、デコボコがあって味があると言えば聞こえがいいけれど、スラスラかけない紙でした。

滑らかな紙すきができるようになるには、それこそ数年かけて技を習得していくもの。

戦後の経済成長で紙は機械化されて大量生産ができるようになったり、デジタル化の普及によって今では紙を使用する機会が減少しています。

だからこそ、モノの成り立ちや作っている人の姿など、モノの表面だけでなく裏面まで想像力を働かせることが必要なんだろうなと思いました。

少ないもので暮らすこと。

これはこれで素晴らしいこと。

でも、沢山のモノがあることは、その原材料や製品を作っている人がいることを忘れてはならないですね。

捨てるときには、感謝の気持ちを伝え、手に取り迎え入れるときには、惰性や衝動買いではなくてきちんと自分の頭で考えて選んでいく。

そういう丁寧な過ごし方の積み重ねが、断捨離や人生がときめく魔法の片づけなのかもしれないなぁと思った出来事でした。