家族との他愛のない会話。
心を許しているからこそ出てしまう、自分の本心。
言葉はその人から滲みでる人柄を表したりします。
家族が仲良く食卓を囲めるように、会話が弾むような空間を作りたいな。
そんな風に思うので、今日からみんなの言葉をいったん受け止めよう。
似たもの同士?
家族や友達、心を許しているからこそ、気を付けたい言葉遣い。
知らない間に使っている口癖が相手を不快にしているかもしれません。
先日、「ご飯の前にお片付けをしましょう!」と子どもたちに声を掛けたら、「え~まだ遊びたいのに~」と返ってきました。
すかさず、「でも、お片付けしてご飯を食べると美味しいよ」と言うと、「でも、このままにして置くとまた遊べるよ」とオウム返しのように返ってきました。
語彙力が増したからか、全く脱帽。
このままでは、「でも~」、「でも~」のオンパレードになりそうなので、コチラが折れて「じゃあ、一緒に片づけようね」と片づけの行動を始めました。
すると、「うん」と一緒に片づけ始めたので事なきを得ました。
それにしても先ほどの会話。
親子だから似てしまうのかな。
あの時どうした良かったのかな。
お風呂に入りながら会話を反芻しました。
提案ではなく押し付け
会話を自分なりに解釈してみました。
“ご飯の前にお片付けをする”行為は間違っていません。
子どもたちからの“まだ遊びたい”という気持ちも理解できます。
次の「でも、お片付けをしてご飯を食べると美味しいよ」は、私からの提案でした。
ところが、考えてみると大人の勝手な提案です。
子どもたちは遊びたいと言ったのに、突然別の提案をされたのです。
オウム返しのように「でも、また遊べるよ」という言葉の中には、まだ遊びたいのに、邪魔しないでよ、の強い意味が隠されていたのかもしれません。
言葉から、行動に強引に移してしまった私は愚かでした。
小さな会話をひも解くと「でも」の後には、提案ではなく、押し付けが来ています。
「でも」・「だって」の後には
会話の途中の「でも」や「だって」の次の言葉は、それまであった内容の理由というか言い訳が来ることが多いです。
「◇◇の方がいいんじゃない?」と相手から提案を受けた言葉に対して、「でも、△△の方がいいよ」というのは、「でも」という言葉一つで相手の提案を否定しています。
「だって」も同じように、「だって□□」の□の部分には言い訳が来ることが多いです。
こういう会話を続けていたら、たとえ仲の良い家族や友達であっても知らぬ間に嫌な気持ちにさせてしまうこともあります。
「だって」を「そうね」にするといいね
楽しい空気を持続させるためには、どうしたらよいのでしょうか。
私が考えたのは、“「だって」を「そうね」にする”ということです。
「そうね」はそれまでの会話をいったん認めてくれます。
前の会話でも「そうね、片付けしてご飯を食べると美味しいよ」と伝えていたら、子どもの遊びたい気持ちを「そうね」で受け止めてあげることができました。
言葉はキャッチボールと言われますが、いったん受け止めて返すという繰り返しを重ねていくと、相手も自分の気持ちを素直に話してくれたり、聞いてくれたりするのかなと思います。
小さな会話でしたが、いろいろなことを気が付かせてくれる子どもたち。
ありがたい存在ですね。
そんな子どもたちと仲良く楽しくいたいから、小さな気持ちを受け止めてあげたい。
子どもたちから学んだ親しき中にも礼儀ありということわざの実践でした。