こんまりさんこと、近藤麻理恵さんの本を読んでから2年。
家で過ごす時間が多くなり、どうせ長く過ごすのなら清潔で気分が上がる空間で生活をしたいと、一念発起したのでした。
あらゆる雑念と今日も熱戦は続きます。
散らかるのは当たり前
子どもたちがいると、部屋が散らかっていることは日常茶飯事。
片付けをしても1,2分後には散乱している状況。
初めの頃は、言葉もままならない子どもたちに、
今、片づけたばかりなのに
なんで片づけないの?と思っていました。
ひどいときは声に出してしまうことも…。
冷静に考えてみると、子どもには片付けをしなくてはいけない理由なんて、ないのですよね。
片づけてほしいのは、大人の方。
だから、片づけないのです。
「どうして片づけなくちゃいけないの?」つたない言葉を操って、子どもたちからの疑問のまなざしが、向けられていることに気が付いたのです。
もっと子ども目線で、「おもちゃが、おうちに帰りたがっているよ」などと言葉の言い換えをした方が、子どもにも共感を得られやすく、お互いに嫌な気持にならずに済みます。
もっと言うと、散らかってもいいように、空間を作っていれば、「散らかさないで~」と思わなくなるのではないかと考え、触れてほしくないところには、しっかりガードを付けて対策をして、スペースを確保してみようと思っています。
もったいない?
使えるものを捨てるなんて、もったいない。
この考え方は、昭和初期の生まれの方に多いのかもしれません。
実家の祖母も、戦前の生まれで、社会情勢は大変厳しい状況でした。
北国で農家を営んでいた祖母は、とても貧しくて、「米粒一つ捨ててはならないよ、目が見えなくなるよ」と物を大事に使う人です。
端切れなども、パッチワークに使ったり、手先も器用で全部使い倒すという言葉がぴったりの人です。
そんな祖母と幼少期を過ごした私も、ものを大事にする癖が自然と身についてしまい、これが、今の捨てられない症候群となっているのです。
食品など賞味期限があるものは、期限内に食べますが、タオルや衣類などは、「まだ使える、何かに使える」とつい取っておきがちに。
引っ越しを重ねるごとに少しずつ捨ててきましたが、もはや把握できなくなるレベルまでに到達してしまっていました。
「引き出物で頂いた肌触りのよりタオルは、使ってなんぼ。取っておいても黄ばんでしまうんです。」
こんまりさんが、👆をテレビで言っているのを見かけてハッとしました。
それウチの事じゃん!!
自分はオンボロのタオルを使って、肌触りの良いタオルを箱に詰めたまま、しまい込んで存在を忘れている
のと、
オンボロのタオルをサヨウナラして、箱から出した肌触りの良いタオルを日常的に使う
どっちがいいの?
どっちがもったいないの?
答えは、明らかに後者ですよね。
頭では分かっているのです。
新しいタオルを先に出すか、先にオンボロのタオルを捨てるかで迷う。
鶏が先か卵が先かみたいな話。
結局、後回しにして捨てられない...
やらないよりマシ
それでも、やらないよりはマシ。
1か月前に、いる!と判断したものでも、今は必要ないと判断できる可能性があります。
実際に、私は何度も何度も同じ場所を見直しては、物にサヨウナラしています。
はたから見れば、変わってないかもしれないけど、心情は変化しました。
モノも買わなくなりました。
それは、モノを捨てるのがとても、とても労力のいることだから。
惰性で買ったモノが、そういえばココにあったとか、これ買ったときに食べたアレおいしかったとか、たくさんの思い出まで呼び起こしてしまって、本当に捨てられなくなります。
だからもう、モノは買わない。
食べてなくなるものだけにしようと思っています。
本当に買わなくてはいけないものは、厳選して、惰性で買わないようにと思っています。
少しずつでも前進
そんなこんなで、毎週の燃えるゴミ、資源回収の度に少しずつですが、自宅で役割を終えたものに、感謝とお別れを言って手放しています。
子どもたちのサイズアウトした洋服も、徐々にですが同じように感謝とお別れをしています。
小さかった時の可愛い思い出まで無くなるわけではないし、今もこれからも、どんどん成長しているのだから、「過去の思い出にこだわっている場合ではないよ」と、強く自分に言い聞かせています。
やらないよりやった方がマシです。
小さなマシを積み重ねて、家族が居心地が良いと思うような自宅の空間を作っていけたらイイなと思っています。