ムーンライトながら号。あてのある旅も、ない旅も。眠っている間に遠くの町まで運んでくれる夢の列車を思い起す

暮らし

20年近く前に上京してから、やってみたかったことの一つ。夜行列車で夜を明かすこと。

一見、一晩かけて目的地に向かう分には夜行列車も高速バスも変わらないような気もするのですが。

スパイスが違うんですよね。ノスタルジーという。

もう乗ることのできない夜行快速列車。当時のことを思い出しながら、復活運転を待ってみたり。

特別な列車

交通が発達した現在。

北海道から南九州まで日本全国、ほとんどの地域が数時間(丸1日かかることもありますが)で新幹線で移動することが出来るようになりました。

自分が上京した時も新幹線。

500km以上離れた地でも数時間の新幹線の乗車で東京に到着できることは、夢の超特急に他なりません。

幼稚園くらいの時に、寝台特急や新幹線に接続する特急列車が廃止になったときには、子どもながらに寂しさを感じたのですが、それ以上に新幹線で大きな町に行けることの方が大きな期待でした。

上京して、東京から新潟方面や名古屋方面に普通快速の夜行列車がまだ現役で走っていることを知ったときは、すぐにでも乗りたい気分でした。

季節運転となっていて、夏休み期間、冬休み期間の青春18きっぷが使える機関のみの運行。

どこに行くわけでもなく、時刻表を眺めていると、夜行列車に乗って終点まで行って何しようかなどと想像を膨らましたものでした。

やっと取れた、ムーンライトながら

その時がやってきたのは今から10年以上前の2009年。

急に旅がしたくなり、みどりの窓口で聞いてみたら、たまたま手に入ったムーンライトながらという夜行列車の切符。

ちょうど、神奈川県の小田原駅から乗車が可能とのこと。

どうして、小田原駅なんだろうと思ったら、日付が変更して初めての停車駅だからでした。

青春18きっぷは、JRの普通列車が乗り放題になる切符。

5回分が1枚になっていて、1回分は午前0時からスタートできるのです。

そういう意味では、小田原駅から乗れたのはラッキー。

向かう先は大垣駅となりました。

大垣駅は岐阜県大垣市にある大きな駅。

県庁所在地ではないですが、豊富な地下水を使用して農業も発展し、繊維をはじめとする工業も盛んな街。

せっかくだから大垣駅まで行って、街を散策してみようかと思い立ち、友人と二人で列車に飛び乗ったのでした。

当てのない旅

今ではもうないと思われる、国鉄型の車両。クリーム色と小豆色の急行色と呼ばれるカラーでした。

椅子のリクライニングも当時からして年季が入っていて、旅の始まりの高揚感と、いつもと少し感じの違う椅子で寝付けなくなってしまいました。

静岡市あたりで眠りに落ち、次に気が付いたのは名古屋駅。

終点の大垣駅までは間もなくです。

さて、大垣駅の名所をめぐろうかと思いを馳せていると、岐阜駅を過ぎたくらいから、お客さんたちがソワソワし始めました。

どうしてそんなに急いでいるのだろう。

不思議に思いながら、終点の大垣駅を迎えると、荷物をまとめて準備をしていた乗客が、夜行列車の余韻もなくドアが開いた瞬間に猛ダッシュ。

なんと、京都方面に向かう、ムーンライトながら号からの接続列車が目の前に停車していました。

ソワソワと用意周到に準備していた乗客の皆さんは、接続列車の席を確保するためにダッシュをしていたのでした。

当てのない旅をしていた私たちも、何となくその波にのまれてしまい、大垣駅で降りることなく接続列車に乗車。

米原駅行きと書かれた列車に揺られ、米原駅から京都駅に降り立ちました。

京都で降りなければ、兵庫県の西明石駅まで行けたようです。

私の初めての夜行列車の旅は、京都観光の旅に変貌してしまったわけです。

人の波にのまれてしまったといえば、それまでですが、旅だから行き先不明でも途中変更でもOK。

いまでもお得な青春18きっぷは発売されているので、ありがたいことですが、時間の関係で当てのない旅は当分できなさそう。

あの時のあの瞬間が贅沢な時間だったんだな、としみじみ思います。
2021年に廃止されたムーンライトながら号。

眠っている間に、遠くの町に行けるなんて夢のようでした。

早さだけでない、郷愁というか哀愁というか感じられたはずなんですがね。

数年前まで今時に運行していた普通夜行列車。

もっと乗っておきたかったな。

昔の写真を見ながら復活運転を心待ちにしてみるのでした。