自分のことは自分で決めるなんて、当たり前のこと。
そうです。
普通のことで変わったことでもないです。
しかし、これが案外難しい。
決めているようで決めていないんですよね。
挑戦できる環境だったけど…
私は、40年近く生きてきて、やろうと思えば何でも挑戦できる環境にいたのかな、と思うようになりました。
こんな私でも、結婚してくれる人がいて子どもがいてくれて、この上なくとても嬉しい。
子どもたちに対しては、一番の理解者、応援者でありたいと思うのだけれど、自分の親が私にしてくれたように、例えば経済面を応援できるか?と言われれば、それは難しいと思う。
時代が異なるとはいえ、ごく普通のサラリーマンで三世代同居で農家で、休みもなく働いて、私たち子どもを育ててくれた両親は感謝と尊敬を抱きます。
衣食住が確保されていて、挑戦できる環境があったのに、挑戦しなかったのは、勇気がなかったからか、面倒くさかったからかな、と思います…。
両親や家族には感謝しているのですが、未だに応えられていない自分がいるのが現実です。
今が満足、でも永遠に今は続かない
今の自分でいいと満足してしまうと、新たなチャレンジをしにくくなります。
いつもの環境が変わってしまうことを極端に恐れてしまう。
年齢を重ねると、忘れることも少なくなく、新しいことを覚えるのに苦労しますから、今の状況が変わることを拒みます。
自分が変わらなくても、周りの環境はものすごいスピードで変わっています。
様々なブームもあるし、ブームから定番になったものもあります。
ずっと同じ自分でいることは、不可能なのです。
変化を自分で楽しむ
どうせ変わらなくちゃいけないのなら、自分でこうしたいと決めて少しずつ変化していった方が楽しいのではないかと思うのです。
周りとは比べない、自分だけの物差しで自分で物事を決めるのです。
4年前のこと。
ずっとガラケーだったけど、もうFOMA終わるみたいだから、みんな持ってるしスマートフォンに乗り換え。
ガラケー派だった私は、当時でもだいぶ遅れてスマートフォンにしました。
周りが持っているのというのでスマートフォンにして、LINEのアプリを入れて。自分の意志はそこにはなし。
ただ単に周りと同じように自分のスマートフォンをカスタマイズしたのでした。
今考えると、スマートフォンはなぜ必要なのか、料金はどうなのか、必要なアプリはどれかなど考えるべきでした。
私のスマートフォンだけど、私のじゃないみたい。
周りと同じにするのは、気持ちが安定するようで、自分で何も決めていない不安定な状態なのではないかと思ったのです。
そんなことなら、1回1回自分で考えて決めていく方が、選択する過程も楽しめていいのではないかと思うのです。
厳しいルール
自分で決めたのなら、人のせいにはできないし、言い訳も含めて全て自分のせい。
自分にとっては、とても厳しいルール。
でも、人に害を与える可能性はないし、自分のことは自分で決めるなんて当たり前のこと。
かわいい自分をさらに磨くために、どうしたらいいのか自分で考えて決めましょ。
未来の自分を想像しながら。
今の自分と未来の自分、どちらも楽しみたいですよね。
よりベターな選択は何か?
ちょっと考えて、楽しそうに生活を送っていけば、周りも明るくなるかもしれないし。
毎日の小さな選択が人生をつくっているのだ、ということをたまには重く考えて、今日も明るく楽しく過ごす選択をしてみようと思います。