世界遺産にもなったお寺で絵馬に「幸せになりますように」と書いたことがあります。
若かったとはいえ、そんなことを仏様にお願いするなんて。
若さゆえの失礼と許していただけるかしら。
何にも考えないから幸せ?
子どもたちと公園に行った時のこと。
自宅で過ごすことが多く、保育園や幼稚園も通園していない我が子は他の子に興味津々。
すぐに輪の中に飛び込んでいきました。
子どもたちって、年齢が違えども、目が合ってニコッと微笑んだら、もうお友達。
滑り台をしてみたり、ちょっと高めの梯子を上ってみたり、できる子がお手本になってどんどんチャレンジしていきました。
子ども同士が全力で遊んでいる姿って、見ているこちらも楽しくなるし、元気が湧いてきます。
子どもたちって幸せそうだよね~。
何にも考えてないからなのかな~。
ことわざに学ぶ
「人間万事塞翁が馬」ということわざがあります。
昔、中国に住んでいた塞翁(老人)が馬を飼っていました。 ある日、馬が蜂に刺されたことをきっかけに馬舎から逃げてしまいました。 人々が慰めに行くと、塞翁は「これは幸いになるだろう」と言いました。 しばらくして、逃げた馬は立派な白馬を連れて帰ってきました。 人々がお祝いに行くと、今度は「これがきっかけで、何か悪いことが起こるかもしれない」と言いました。 すると、塞翁の息子が白馬から落馬して足の骨を折ってしまいました。 人々がお見舞いに行くと、「これは幸いになるだろう」と言いました。 しばらくして、隣国との戦争が起こり、若者たちは徴兵されましたが、塞翁の息子は足を骨折していたため、徴兵を免れることができました。 戦争が終わり塞翁は息子たちと末永く幸せに生活をしたというお話。
人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえ。
だから、あまり不幸にくよくよせず、幸せに浮かれないようにという教訓を教えてくれる言葉ですね。
まず体を動かしてみる
大人になると、子どもたちのように今を思い切り楽しむということが難しくなります。
特に過去に執着しすぎると今を思い切り楽しむことができなくなる気がします。
子どもたちが底抜けな明るさで楽しんでいたのは、今を一生懸命生きているから。
お勉強したり、お片付けしたり子どもにだって役割はあるけれど、楽しく遊べるのは今。
ゴチャゴチャ言わずに体を動かしているのです。
年齢を重ねると、どうしても頭でっかちになりがち。
もちろん、子どものように無になって遊ぶことはできないけれど、塞翁が馬のように浮かれず、くよくよせず、今を見つめて体を動かすことが、ヒントになりそうです。
感謝のそばに幸せ
自分を思ってくれる人って案外いるんだなと思うことがあります。
例えば、スーパーで買った野菜。農家さんが食べてもらう人に「おいしい」と思ってもらいたいと願って育てられた野菜です。
冷蔵庫だってメーカーが使用者に対してストレスなく使ってもらえるように工夫しています。
お水だって、自治体の人や浄水場の人がみんなが安全に水が飲めるように管理しています。
見えなくても自分を思ってくれる人って沢山いるのです。
生きていくうえで感謝することは溢れています。
そして、無意識のうちに自分が人に与える影響も少なからずあるということ。
道に落ちているゴミをゴミ箱に入れたり、ルールを守ってゴミ出しするのも、自分が人に与える影響の一つ。
「ありがとう」の気持ちを持つと、親切にしたい気持ちが生まれます。
そして、私の体験なのですが、道に落ちているゴミを拾ったりすると、「いいことをした自分」と褒めてあげたくなり、気分も晴れやかになります。
幸せは無限大
幸せは、決まった分を提供してくれるものではなくて、湧いてくるもの。
愛情とか喜びとか、楽しい感情とかそういうものが湧いてくることが幸せなんだと今では思っています。
幸せは限りがあるものではなくて、無限。
今あることに感謝。
どんどんポジティブな発想して、人生を輝かせていきましょう。