実家に帰って来てやることと言えば、何のことはない日常生活。
普段あまり見ることのないテレビを見たり、お茶を飲んでよもやま話を聞いたり、そんな日常が楽しいと思えるようになったのも、歳を重ねたおかげなのかもしれません。
駅伝って何かを重ね合わせる
ある時、箱根駅伝のダイジェストのような番組がテレビから流れていました。
誰が点けたとも言えない、ただ流れていた番組ですが、つい見てしまいました。
タスキをつないでゴールする駅伝。
サッカーでも野球でもボールに込められた思いはあります。
でも、駅伝は手から手に手渡ししてタイムを競うことから、感情が入りやすいのかもしれません。
走ってきた走者の手から、これから走る走者の手にタスキを渡すシーンは心を打たれます。
タスキというバトンに信頼と感謝とねぎらいがあるような、そんな感じを受けます。
駅伝に何を重ねているのか分からないのですが、スポーツなはずなのに、人生とか見えないものを重ねてみることのできる競技なんだなぁと思いました。
お正月だからですかね?
ともかく自分勝手に背景を作ったりして感動させてもらいました。
努力だけでいいの?
昭和時代に教育を受けてきた父や母は、まさにスポ根魂です。
時代が変わって今では見ることのない、うさぎ跳びなどで鍛えていた世代。
日本が経済的にも成長していた時期だったこともあり、「努力すれば報われる」ということをとても信じています。
確かに、努力することは、当たり前のことですね。
でも、努力したからと言って必ずしも成功するとは限らないし、報われるとも限らないのが今の時代。
努力でどうにもならないこともあります。
「やればできる」
「頑張ればなんとかなる」
そういった、努力を美化して過信しすぎると、間違った方向に努力してしまう危険性があると思うのです。
失敗しても大丈夫
努力は無駄ではありません。
何かの役には立つはずです。
努力をしないと進化もしないはずです。
ただ、努力を美化したり、過信したりすると過ちを認めることができなくなるのではないかと思うのです。
そのことを避けるためにも、失敗しても大丈夫なんだ。まずは続けて取り組んでみよう。という気持ちで取り組むことが大切なのではないかと思うのです。
失敗は痛手もありますが、痛手を負うことで学ぶことも沢山あります。
結果だけを気にするのではなくて、過程など失敗した原因を探って今後に生かすことは、次の成功にグッと近くなるような気がします。
優秀な働かないアリ
会社には大して働いていないのに、どんどん出世していく人がいませんか?
私の会社にもそういう中年男性がいました。
毎日、働きアリのようにコツコツ仕事をこなしていた私にとっては、その人たちの出世が不思議な感覚でした。
周りから「なんで上に上がれるんだろうね?」という声が上がると、同調していたこともあります。
努力の話をしていたら、仕事もしていなさそうなのに結果を出していく人のことが分かったような気がしました。
コツコツ仕事をこなすことは、大切なことです。
でも、コツコツ周りも見ずに仕事をしていても、自分よがりになるだけです。
自分基準で仕事をしている、していないの判断をして人の評価をするのは間違っていました。
きっと結果を出している人は、仕事をしていなさそうではなくて、周りを見ていたのでしょう。
仕事をしないのではなくて、あえてやる仕事とやらない仕事を選別して、わざと余裕を持たせて周りのニーズを満たす仕事をしていたのだろうと思います。
周りを見ずにガツガツ働く姿は、自己満足はできます。
しかし、周りが見えなくなったり、大切なことを見落としてしまう可能性もあります。
常に片手に余裕のある生活をすることは、一呼吸置いたり、自分を客観的に見ることのできるメリットがあるんだろうな、と思いました。
今までは、働きアリを目指してきたけれど、働かない優秀なアリを見習ってみても面白いかもしれません。
駅伝でタスキを渡し終えた選手が笑顔で渡せると、私も安堵したり、一緒に走ったかのように楽しめました。
自分に余裕があって楽しめると、周りにも楽しい空気をもたらしてくれるんだなぁと改めて感動した番組でした。