モノを手放すのってちょっぴり寂しい。今日もまた一つ思い出が詰まったモノとサヨナラしました。

暮らし

年の瀬ですね。

間もなく、今年最後の資源ごみの収集日になります。

いつもは何気なく過ぎていく日々に過ぎないのだけれど、年末年始はちょっと違う。

なんだかソワソワして、やっておくべきことをやっておかないと何かが起こるようなそんな急き立てられる時期です。

そんなことで、特に足早に過ぎていく気がします。

何気ない日々で、特に何もしなくとも何も変わらないことは十分承知しているのですが気持ちの問題もあって、やる気も出てくるものこの時期なのです。

不用品を仕分ける

別に来週には新しい年が来て、ゴミの収集に限らず、世の中が回り始めるので、1週間くらい留め置けばいいものですが、なんとしても、今年中にある程度の目途を立てたいのと、そういう満足感が欲しい。

年末の大掃除もやめようと思ったけど、そんな理由で、今年もちょこちょこやっています。

その中で、一番のやりたいことが不用品を仕分けること。

1年間の間に新たな書類が増えたり、本もできるだけリサイクルに出してはいるけれど増えてはいるし、服だって手放す洋服を決めてから買っていますが、何となく増えた感じ。

この気忙しい時期を使って、一気に見直しをして片づけてしまおうという作戦です。

これには、家族も同意してくれて、みんなでモノの見直し、仕分け、仕分け。

みんなでも手分けして確認し合いながら、やっていくとやっぱり出てくるんですよね。不用品。

思いやる気持ち

一人で住んでいる分にはモノの要る要らないは、自分自身との問答になります。

これが複数人で住んでいると、モノの所有者の確認が必要です。

自分が不要と思ったものでも、持ち主の人にとっては、大切なモノだったり、使っているモノかもしれないから。

家にモノが増えてしまう現象は、ちょっとした気遣いや優しさでもあると思うのです。

だから、家族で住んでいるのならみんなで確認し合った方が結果的に早かったりします。

もちろん、一気に片づけるには、感情に左右されずに効率よく作業してくれる業者さんが一番ですけどね。

思わぬ別れ

思い出の詰まったモノって、別れを告げるのは寂しいことです。

もう使わないと分かっていても、いざ別れようと思って手に取ってみると、思い出がよみがえってきたりします。

実はこの毛布、子どもが生まれる前に、職場から頂いたもの。

時に、毛布に、時におくるみ替わりに大切に使わせていただきました。

我が子たちも、この毛布はお気に入りで、冬が近くなるとクローゼットの中から引っ張り出して使っていました。

この日も、子どもたちを温めつつ、遊び相手となっていたのですが、不注意もあって使えなくなってしまいました。

私が目を離したすきに、汚れ、破けてしまった毛布さん。

完全に私の監督不行き届きです。

子どもたちが大切にしていたモノなのなら、もっと目を配ってあげるべきでした。

咄嗟に、子どもたちを叱ってしまった自分に反省。

怒られた子どもたちは、すっとんきょうな顔をして、怒られたことに驚いていました。

その様子を見て、子どもたちが大切にしていると思っていた毛布は、私が大切にしていたモノに気が付きました。

敗れてしまった毛布をみて「これ、使えなくなっちゃったね。新しいの買ってもらおう」と言われてしまっては、コチラも「そうだよね」と返すしかありません。

私は、毛布にまつわる思い出をたくさん見つけていましたが、この使えなくなった毛布さんにお別れすることでまた新たな思い出を作る未来が待っているのだと思うと、感謝が湧き出てきて、手放すことに罪悪感は薄れていきました。

名残惜しいので写真を撮って、お別れです。

ちょっぴり寂しいですが、新たな出会いを期待して。