本格的に今年から始めた断捨離。
こんまりさんややましたひでこさんの本を見ながら自分流にやっています。
実はこの↑の写真、ずっと保留になっていてお別れできなかったアイテムの柄。
毎日が捨て活
もともと、物持ちが良く、捨てる行為がもったいないと思っている私。
今もあまり考えは変わっていません。
お菓子の入ったきれいな箱を見て、何かに使えるかもしれないなんてことは、お菓子の箱に限らずしょっちゅう。
「今、使わないなら捨てましょう」と自分に言い聞かせるのです。
だから、テレビ番組のように断捨離をしてもドラスティックには変われない。
むしろ、毎週のゴミの日の度に普段のゴミにプラスして、手放すアイテムにさようならするというスタイルです。
だから毎日が捨て活。
言い換えれば、気分が乗った時だけモノに対して向き合っている感じ。
ふと思いついたときにアイテムを見て自分にとって必要かそうでないかという判断をしている気がします。
捨てる、残す、保留
この3つは自分が判断するときの分類。
部屋の中から明らかなゴミが減っていくと判断が鈍り、保留が多くなっていきました。
とりあえず取っておこうです。
家自体はそこまで広くない3LDK。
ほぼ毎日部屋を見回して、「コレもう使ってないよね、さようならしよう」となるのです。
そんなことを1年近くしてきてようやく、少し部屋がまともになった気がします。
なかなか捨てられない、赤ちゃん時代のモノ。
自分のモノは自分で判断して捨てたりできるのですが、私が一番頭を悩ますのが、子どもたちのモノ。
放っておくと溜まって来るし、当然ですが、本人たちは片づけられる年齢ではないので、私が代りに判断をしなくてはなりません。
1歳を過ぎ、赤ちゃんと呼べる時代が過ぎ去ろうとした子どもの洋服は新生児の時を含めて、捨てられずにいました。
モノが思い出に変わっているんですよね。
思い出って捨てられない。
今も愛おしいけれど、赤ちゃんだった時は可愛かったなxぁなんて思い出すと手放せません。
前回はこれから思い出を作るのだと意を決してお別れしました。
お風呂からおもちゃに変身していたモノにお別れ
冒頭に登場したアイテムは、ベビーバス。
毎回、保留の常連。
もう、くたびれていますが新生児の時に使っていて、お風呂としての役目を終えてからは、子どもたちのプール?お風呂場で遊ぶ道具と化していたのです。
モノの役割としては果たしているのだから、さようならすればいいのに、子どもたちも楽しく遊んでいるからなぁと言い訳じみたことを考えてしまい、保留にしていました。
自問自答し、子どもたちにも相談。
「もう壊れているし、さようならしてもいいかな」と言うと。
あっさり「そうだね、サヨナラしましょう」ときっぱり。
案外、子どもたちの方が潔いです。
なんだか拍子抜け。
こうしてベビーバスという一つのアイテムを手放すことにしたのです。
自分一人で判断できないときは、子どもであっても家族を頼っていいんだ、ということを最後に教えてくれたベビーバス。
ありがとう、今までお疲れさまでした。
私自身は日々修行。
家中のモノと自分の気持ちとの向き合い方はまだまだ修行が続くのでした…。