暦の上で冬と春と分ける立春。
立春は明日ですが、季節を節目には邪気が入りやすいということで、節分には豆まきを行います。
煎った豆を「鬼は外、福は内」
鬼は外で思い出した絵本を思い出しながら、勝手な解釈をしてみます。
今日は節分
節分とは立春の前日のこと。
今年の立春は2月4日なので今日が節分です。
我が家では豆まきと恵方巻が恒例行事です。
今年の恵方は、北北西だそうです。
スーパーで売っている恵方巻は大きいので、少し小さめの海苔巻きを子どもたちと食べます。
豆まきの豆は大豆。
大豆を煎ることで「魔目に射る」という意味があるのだそうです。
昔の人の解釈は面白いものですね。
おにたのぼうし
小学生の時の教科書で勉強した『おにたのぼうし』
たしか、あまんきみこさんが作者だった気がします。
挿絵が、いわさきちひろさん。
いわさきちひろさんの、あのふんわりした絵が、節分になると脳裏に浮かぶ切ない物語。
心の優しいオニタとお母さんのことを一所懸命思う女の子。
それぞれの純粋無垢な気持ちが、哀しいともいえる結末になっています。
鬼のオニタは元気よく豆まきをする子どもたちをみて、「鬼にも色々いるんだよ。」とつぶやきます。
この言葉は、大人になってから響く言葉。
ついつい、大人ぶっちゃって分かったような気がしているけれど、言葉によって傷つく人もいるかもしれません。
自分が発する言動には注意したいものですし、物事に極端に反応しないということも先入観を持たないためのスキルなのかなと思ったりします。
理解すること
受け入れるかどうかは別として、理解することはとっても大事なスキルなような気がします。
例えばスーパーで駄々をこねる子どもたち。
子どもたちを頭ごなしに叱ることは、親の都合であって子どもたちの気持ちを理解できていないのです。
子どもたちはなぜ駄々をこねるのか、聞いてあげると意外にも収まるのかもしれません。
もちろん、子どもたちの要望をすべて聞いていては、コチラが持ちませんから、要望に応えるかどうかはその時次第。
子どもたちが何を望んでいるのか確認して復唱すると、何を望んでいたのか理解するのかなとも思います。
子どもでも大人でも誰でも、ご機嫌で過ごしたいじゃないですか。
自分が思っていたものとちょっと違う、となると小さな違和感からイライラが募ってきたりするのですが、そんな自分を俯瞰してみてなぜそうなっているのか、客観視すると相手に対する理解が深まり、結果として、相手に喜んでもらえるような行動がとれるのかもしれません。
『おにたのぼうし』では、自己犠牲にも感じられるラスト。
解釈は色々あるけれど、オニタは女の子の気持ちを理解して行動したのではないかと思っています。
相手を理解することは、人を喜ばせることにもつながる。
なんとなく、哀しいというか、心が締め付けられるストーリーですが、大切なことを教えてくれるような思い出の絵本です。