「人はひとりでは生きていけない」。幼いころから学校や家庭で学んだことの一つ。
確かにそうかもしれないけれど、意外に「一人でも案外生きていけるんじゃないか?」と思うのです。
「自分の価値観をどう育てて生きていくか」、人生のテーマになるようなことを考えてみました。
一人でできることが拡張している
昔に比べたら、他人とあまり関わらなくても、何かとできることが増えました。
特にここ1,2年の社会状況は、ソーシャルディスタンスの名のもとに、ますます加速しています。
ガソリンスタンドは20年くらい前までは、店員さんが車にガソリンを入れてくれましたが、今ではフルサービスが当たり前の日常となりました。
ファミリーレストランにおいては、先日、2年ぶりくらいに行ったらのですが、注文を取りに来てくれる店員さんの代わりに、お客さん自らがタブレット端末を使用して、自分で食べたいメニューを選んで打ち込んでいく方式に変わっていました。
ZOOMなどオンラインを使った会議や講義も当たり前の時代になりました。
仕事でも、プライベートでも、多くの人とあまり関わらずに自分一人でできる領域が急速に拡張しているんだなぁと感じています。
ムラ社会?
かつての日本には、良く言えば、「地域の共同体」、あまり良い言葉ではないかもしれませんが、「ムラ社会」と呼ばれるようなものが存在していました。
「ドコドコのダレダレさん」という話は、日常会話の中によく登場して、子どもも大人も地域の人の顔と名前は全部わかるくらいの生活に根差したコミュニティがありました。
私は生まれも育ちも北国の小さな町なので、「ムラ社会」で育った者の一人です。
思い返してみると、おじいちゃんおばあちゃんに限らず、老若男女問わず、地域の中の関係が濃い社会でした。
少しずつ変わっていくムラ社会
昭和の時代を知っている方なら、今の状況に懐かしさや寂しさを感じるかもしれません。
私の場合、幼稚園から中学校までは横並びで進学していました。
ムラ社会で教育を受ける良いところは、ある意味、一貫校のような精神的な強さ。個々の能力は劣ったとしても、団結力は都会の子たちには負けなかったと思います。
そして、みんな馬鹿にされるのも嫌だし、勉強も普通に生活するに支障のないレベルまでは身に付きました。
中学校を卒業すると、大多数は地域から通える高校に進みます。
極々一部が地方都市の進学校やスポーツの強豪校に行ったりして、少しずつ地域から離れ、人生を歩み始めます。
私の親世代は高校卒業してからも、進学はせずに地元で就職することがほとんどだったので、結婚して新しい家族を築くことも地域の人の中で行われることが多く、閉鎖的な地域が保ちやすかったのかもしれません。
そのためか、新しい人を迎え入れるということに慣れていなかったのかも。
時代が進み、私たち世代でも、地域経済が落ち込んでいることから地元から離れて就職する人も増え、地域は変わらざるを得なくなってきています。
地域でやっていた冠婚葬祭は簡略化され、継承されずに終焉してしまったものもあります。
これが良いか悪いかは別として、ムラ社会も新たなステージを迎えたと育ってきた者の感覚としてあります。
価値観は変化する
ムラ社会で育った私にとって、「人は一人では生きていけない」という言葉は、外の世界を知らなかった時には、そうかもと思っていましたが、異なる世界の異なる価値観を知った時に、そうでないかもしれないと思い始めたのです。
周りの人への感謝は持ち続けていますが、周囲の人に支配されなくとも良いのではないか、という考えです。
誰かと何かを始めなくても、一人でチャレンジできる環境が、昔よりは社会も寛容になっているし、条件も整っています。
いろいろな価値観があっても良いし、価値観は変化する。異なる価値観を理解することで、自分の価値観も大切に育てられるのではないかと考えています。
若いころは、周りの目も気にしながら生活していたところもありますが、「みんな違ってみんないい」と思うと、とってもとラク。
新型コロナウィルスの影響で生活が大きく変わってしまったけれど、これも変化の一歩と捉えてポジティブにとらえていきたいなと思っています。